日本のポップミュージックそのものが松田聖子なのではないか? 1990〜テン年代の10曲



2011年11月のシングル『特別な恋人』。作詞作曲が竹内まりやさんですね。シンガー・ソングライターがシングルの作詞作曲をするのは、1985年の『ボーイの季節』の尾崎亜美さんが書いてから26年ぶりですね。つまり聖子さんが、作詞作曲をするようになった時期もあったわけで、人に頼むことが減ってきたということもあるんでしょうし、松本さんがいた分シンガー・ソングライターに丸ごとお願いするということが本当に少なかった。そういう女性、歌手でもあったわけですね。まりやさんが聖子さんに曲を書いたのは、これは必然的な出会いだなと思った記憶があります。松本隆さんが聖子さんが歌うのを初めて聴いた時に「僕が書くべきだと思った」という話をしてますね。それは聖子さんの中にあるアメリカン・ポップスの声、甘くてセンチメンタルでどこか跳ねている。まりやさんもそういう声ですからね。まりやさんもアメリカン・ポップス、コニー・フランシスという1960年代のアメリカのポップスシンガーの代表的な人に憧れたり、影響されて音楽を始めたわけで。やっぱり同じような声の持ち主で違うところで歩いてきた人が、こんな風にこの年で出会ったっていうことに意味がある気がしました。

この年というのは2011年、東日本大震災があった年です。その時聖子さんがどう思ったかというのは、ファンの方はご存知なんでしょう。海外で活動されたり、海外志向のアーティストやクリエイターの中でも、日本で何をやれるか考えようって思った人が多かったわけですが、聖子さんにとっては2011年というのはそういう転機点になったのではないかと思います。2012年にボブ・ジェームス、2013年にクインシー・ジョーンズ。向こうからアーティストが来て来日公演を行う時には、ちゃんと招かれてゲストとして歌っているわけですね。海外からと日本の音楽ファンの評価とは違うものがあるのかもしれないなと思ったりもします。2010年というは聖子さんのデビュー30周年でした。そして次の曲は35周年の曲です。「永遠のもっと果てまで」



2015年の10月に発売となりました『永遠のもっと果てまで』。作詞が松本隆さんで作曲が呉田軽穂さん、ユーミンですね。やっぱりこの二人というシングル。松本さんは、やっぱり聴いていただいたように節目ごとに登場していますが、ユーミンは1984年の「Rockn’ Rouge」以来の31年ぶりだった。31年経ってこうやって作家陣が再び出会うことになって、みんな現役なわけですね。しかもそれぞれが唯一無二のレジェンドになっているっていうのが、この松田聖子という一人の女性アーティストをめぐる人脈図、これが他の人には無いなという一つの例ですね。松本さんの対談集というのが出ているんです。で、この「永遠のもっと果てまで」というのが出た時にユーミンと対談しているんですが、その中でこの曲の話をしていて、ユーミンが僕たち戦友みたいなものだよねって話をしてました。松田聖子というコンバットに駆り出されて一緒に戦ったと言っているんですね。コンバットっていうのは戦場です。二人にとって松田聖子というのは、戦場だったということになりますね。戦場はずっと続いている。終戦なき戦場というのが、松田聖子という女性なのかもしれません。でもこれは、ものづくりをしている人にとっては最高の褒め言葉でもありますね。35周年の聖子さんに松本さんが送った言葉は"永遠の未完成"。歌詞の中でありました「パズルの最後のかけらをなくした私」。松田聖子というのは、永遠に完成しないパズルだということなんでしょう。その言葉通り、彼女には完成がない、挑戦し続けている。今でもそうなんでしょうね。この曲の後のシングルがこれです。作詞作曲がYOSHIKI、『薔薇のように咲いて桜のように散って』。

Rolling Stone Japan 編集部

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