ピンク・フロイド『狂気』知られざる10の真実

9. 『狂気』はピンク・フロイドにとって初の全米Top 40入りを果たしたアルバムだった

『狂気』はマルチプラチナムを達成し、バンドの以降のスタジオアルバムもアメリカで優れたセールスを記録したが、『狂気』以前の7作に対するアメリカでの反響は乏しかった。『狂気』以前の作品で最も成功したのは、フランス映画『La Vallée』のサウンドトラックとして発表された『雲の影』であり、同作は1972年の夏にBillboard 200で46位を記録している。しかしCapitol Recordsの強力なプッシュと、全米のラジオ局のDJたちが「マネー」を頻繁にプレイしたことで、『狂気』は発売から2カ月経たずしてBillboard 200の頂点に上り詰めた。

「あのアルバムはアメリカのチャートを急速に駆け上がった」ウォーターズは2003年に本誌にそう語っている。「その頃、私たちは全米ツアーの最中だった。あのレコードが大きな成果を上げることは目に見えてたよ。特にAMとFMラジオで『マネー』が頻繁に流れるようになってからは、それが確信に変わった」


10. アルバムの売り上げの一部は『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の制作費にあてられた

『狂気』はポップカルチャーにおけるランドマークとなっただけでなく、1975年発表の名作コメディ映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』の誕生に貢献している。ピンク・フロイドのメンバーたちは『狂気』の制作期間中、気分転換としてBBC2で放送されていた『空飛ぶモンティ・パイソン』をよく観ていた。同番組のチームが初の長編映画制作のための資金繰りに苦戦しているという話を耳にすると、『狂気』の成功によって莫大な金を手にしていたバンドのメンバーたちは、当初の制作資金20万ポンドの10分の1を負担することを申し出た。

「スタジオ側からとやかく言われることはなかった。何しろそんなものは存在しなかったからね。誰も金を出そうとしなかったんだ」同映画の監督を務めたテリー・ギリアムは、2002年にガーディアン紙にそう語っている。「(イギリスの)所得税が90%に達しようとしていた当時、私たちはロックスターたちに経済援助を申し出ることにした。エルトン・ジョン、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリン等はみんな金を持ってたし、私たちの作品への投資は経費の使い道として妥当だと考えた。まぁ、その考えは間違ってたわけだけどね。まるで『ザ・プロデューサーズ』のシナリオみたいだったよ」

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Translation by Masaaki Yoshida

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