松田聖子、新世代の作家陣起用と女性主人公の成長を描いた1984〜88年

SEIKO / 「DANCING SHOES(Club Mix)」

これがシングルですよ。1985年6月24日発売、22枚目のシングル『DANCING SHOES(Club Mix)』。12インチシングルで発売されてクラブMIXですよ。作詞作曲がSteve Kipner&Paul Blissでして、オリビア・ニュートン=ジョンで知られるコンビです。この曲のプロデューサーが、フィル・ラモーン。僕らでも知っている凄い方です。この曲の入った『SOUND OF MY HEART』は英語のアルバムなんですが、フィル・ラモーンがプロデュースなんです。フィル・ラモーンという人は、ボブ・ディランの『血の轍』、ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』、サイモンとガーファンクルの『セントラルパーク・コンサート』など、これぞニューヨークという代表的な、色々な作品をプロデュースをされている方です。「DANCING SHOES」のMVが残っているんですが、いきなりタイムズスクエアですよ。SONYビルが出てくるんですね。そこで聖子さんが本当にウキウキしながら、私はニューヨークに来たのよ! と言わんばかりのステップを踏む。そして、この「DANCING SHOES」がアップになっていく。ニューヨークのいろいろな場面、ラジオ・シティホールなどが出て、レコード会社に入っていくという。まさに松田聖子がニューヨークに入ってきたという映像です。これが日本のシングルチャートで1位ですからね。名義も松田聖子じゃなくてSEIKOです。そしてこのシングルの発売日6月24日は、神田正輝さんとの結婚式の日です。1980年代から1990年代にかけての聖子さんのキャリアというのは、改めて今見てみると驚くことがたくさん詰まっています。この曲もそんな1曲ではないでしょうか。



先ほどの『DANCING SHOES(Club Mix)』の1年後、1986年6月1日に発売になったアルバム『SUPREME』の「瑠璃色の地球」。作詞が松本隆さん、作曲が平井夏美さんです。平井夏美さんは井上陽水さんと「少年時代」を一緒に作られた方。本名は川原伸司さんでビクターのディレクターでありました。聖子さんは1985年に結婚したわけですね。1986年は出産のために表立った活動はなかった。そして、このアルバムが制作されたわけですが、一旦は離れた松本隆さんがアルバム2枚を挟んでここでプロデユサーとして復帰するんですね。このアルバムはシングルカットはありませんでした。ですが、このアルバムは、彼女のキャリアで最高のセールスを記録しました。本人がそんなに稼働しなくてもアルバムがちゃんと売れていくという存在になっていたわけです。このアルバムで作曲が変わります。チューリップの宮城伸一郎さん、THE東南西北の久保田洋司さん、大沢誉志幸さん、玉置浩二さん、そしてこの平井夏美さん。1985年を境にそれまでと作曲家陣も変わってくるんですね。「瑠璃色の地球」も、これまでになかったメッセージソングですね。地球という名の船の誰もが旅人。1970年代の宇宙船地球号、あのヒッピー的なメッセージの聖子さん版ですね。地球と母性です。松本さんは、僕がメッセージソングを書くとこうなるという話をしておりました。そして、次も松本さんの作詞の曲をお聴きいただきます。結婚のお休みを挟んで2年ぶりに発売されたシングル『Strawberry Time』。

Rolling Stone Japan 編集部

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