松田聖子、新世代の作家陣起用と女性主人公の成長を描いた1984〜88年



1984年12月に出た10枚目のアルバム『Windy Shadow』の1曲目、「マンハッタンでブレックファスト」。作曲は大村雅朗さん、先ほどの「ハートにイアリング」の編曲も大村雅朗さんですね。これを改めて聴いて笑ってしまいました。朝目が覚めると、横に見知らぬ男が眠っているわけですよ。あなたは誰? と覚えていないんですよ。バーボンで上機嫌で、あとは記憶が消えているという歌です。ママが見たら気絶するわと歌っておりましたが、この歌は当時聴いたファンはどう思ったんでしょうね。気絶した方もいらっしゃったかもしれない(笑)。でも、これに嫌味がないっていうのが松田聖子だなあと思いましたね。だって、乱暴に言ってしまうと、知らない男と寝ちゃったっていう話ですよ。でもそんな風に下世話にならないのが松本隆さんの作詞であり、大村さんの曲であり、聖子さんの歌ですね。妙なニューヨークのセレブ感や不潔感が全くない、嫌味のない歌になっているのは、ひとえに聖子さんの声ですね。松本さんはこの歌を映画のような歌という風に語っていましたが、聖子さんはこの映画の主演ですね。このアルバム『Windy Shadow』の中には「銀色のオートバイ」という曲もあるんですが、これもセクシーですよ。素肌に革の繋ぎを着ているというバイカーの歌なんです。ここまで松田聖子主演でいろんな歌を書いてきて、松本さんもここまで書いたからちょっと休もうかなっていう気になったんじゃないでしょうかね。それぞれのスタッフがいろいろなことを考えながら、一旦ここで流れを変えてみようということで次のシングルが発売されました。



1985年1月発売、20枚目のシングル『天使のウィンク』。作詞作曲が尾崎亜美さんですね。松田聖子さんのシングルで作詞作曲が同じ人というのは、これが初めてですね。いろいろなシンガー・ソングライターが曲を提供してきたわけですが、作詞は松本隆というのが厳然とありました。この「天使とウィンク」のように、作詞も作曲も尾崎亜美さんにお任せしたというのは初めてのことですね。この時代のシンガー・ソングライターで曲を提供しなかった人はどのくらいいたか? 吉田拓郎さんや井上陽水さんは、世代やスタイルが違うということなんでしょうが、浜田省吾さんや小田和正さん、山下達郎さんくらいですよね。他の人たちはほとんどが書いていると言っても過言ではないでしょう。1985年というのは音楽シーンで大きな出来事がありました。国立競技場で「ALL TOGETHER NOW」という、1970年代、1980年代のミュージシャンが一堂に介するという壮大なイベントがあったり、吉田拓郎さんが1970年代の幕を引くんだと言って、静岡県掛川市・つま恋の多目的広場でオールナイトイベントをやりました。松田聖子さんも1985年が一つの分水嶺、それまでの流れが変わる年になってますね。結婚。破局と結婚が同じ年でした。この「天使のウィンク」が入ったアルバム『The 9th Wave』は、1985年6月5日発売です。結婚式の前です。そして、『The 9th Wave』から作家陣が一変します。特に、作詞。銀色夏生さん、吉田美奈子さん、矢野顕子さん、来生えつこさんなど全員女性になった。作詞が、松本隆さんから離れたというアルバムでありました。1985年には、もう一つの新しいチャレンジがありました。すごい年ですよねえ。「天使のウインク」の次のシングルが、やはり尾崎亜美さんの作詞作曲の『ボーイの季節』でその次がこの曲です。1985年6月24日発売、『DANCING SHOES』。

Rolling Stone Japan 編集部

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