BiSHモモコと篠塚将行のむき出し対談「傷つけられたままで終わりたくない」

左からモモコグミカンパニー、それでも世界が続くならの篠塚将行(Photo by Takuro Ueno)

BiSHのモモコグミカンパニーによる、インタビュー&エッセイ連載「モモコグミカンパニーの居残り人生教室」。7回目はバンド「それでも世界が続くなら」の篠塚将行氏に話を聞いてきました。

こんにちは! BiSHのモモコグミカンパニーです。今回の居残り人生教室は、私がBiSHに入る前から沢山聴いてきたバンド、それでも世界が続くならの篠塚将行さんと対談しました。篠塚さんの鳴らす音楽は私が弱っているとき、居場所がないと感じるとき、どんな元気な応援ソングよりも近くにあって味方でいてくれました。一人の弱っちい人間が世界と立ち向かうために必要なものはこんな音楽なんじゃないかと私は思います。今回はそれでも世界が続くならの音楽には、どうしてこんなにも力があるのか、生きるとは何か、同じステージに立つもの同士、今を生きるもの同士、篠塚さんと語り合いました。(撮影・インタビューは2020年2月28日に行われたものです)

モモコ:BiSHに入る前からそれでも世界が続くならがすごく好きで、めちゃくちゃ支えになってた時期があったんです。最初のきっかけはバンド名で、高校生の頃の自分にしっくり来て。実際に曲を聴いてみて言葉の力、音楽の力に救われました。バンド名はどうやってつけたんですか?

篠塚:昔、高校時代の友達と3人でバンドを組んでたんですけど、ライブ中にドラマーが心臓の不整脈みたいなので倒れて、事実上の解散になったんですよ。ベーシストは気のいいヤンキーみたいなヤツで、「しの(篠塚)とバンドをやるの楽しかったけど、ドラムも倒れちゃったし俺たち抜けるわ。でもお前はそのまま続けろよ」って言ってくれて。当時、僕は引き篭もり状態だったので、スタジオに行く時はベーシストが迎えに来てくれた車が移動手段だったんです。だから俺一人になったらスタジオに行けなくなるし、行ってもすることないよなって。

ちょうどその頃、自分達がワンマンやってたライブハウスに別のバンドのライブを観に行って。バンドがなくなっても、俺が音楽を止めても、このライブハウスは普通に営業している。そうか、俺が音楽やらなくてもみんな大丈夫なんだ。それでも世界は続いていくんだよなって。どんなに自分が悲しくても、自分がいなくなっても、この世界は続いていく。それだったら、逆にもう一度バンドをやりたい。誰からも必要とされてなくても、曲を作りたいと思って。

“それでも世界が続くなら”っていうバンド名って、幸せな人から見たら明るくも取れるじゃないですか。名づけたときの真意とは違うけど、この言葉の意味が自分の中で変わるまではバンドをやろうと思っていたら、今に至る感じです。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE