デビュー40周年を迎えた松田聖子80年代の10曲、加山雄三の永遠さに近いものがある

松田聖子 1985年撮影(Photo by Tim Roney/Getty Images




1980年10月発売、3枚目のシングル『風は秋色』。アルバムは2枚目の『North Wind』に入っておりました。そしてこの3枚目のシングルで、初めてチャート1位を記録するんですね。1980年代はシングル盤が大激戦の時代ですから、シングルで一位になるのはとても大変だった。この曲も作詞が三浦徳子さん、作曲が小田裕一郎さんですね。「風は秋色」というタイトルは、とても松本隆さんっぽいでしょ。風っていう松本さんの代名詞のような言葉が入っているんですが、これは三浦さんですね。松田聖子さんのデビューはCBS・ソニーと集英社が共同して行なった「ミス・セブンティーンコンテスト」。桜田淳子さんの「気まぐれヴィーナス」を歌って、九州大会の1位だった。でもお父さんの反対で全国大会を断念している。高校2年生、16歳でした。そして、CBS・ソニーの若松さんは全国の応募テープを聴いていたんですって。100本以上ですよ。そこには写真もなければ経歴の書いてある資料もない。ただひたすらテープを聴いていて、松田聖子さんのテープを聴いている時に手が止まったらしいんです。その後はもう聴かなくていいと思った。何が引っ掛かったかっていうと声ですね。こんなに抜けのいい声の持ち主がいるのか。明るいんだけど陰りがある声だったと。それで若松さんは久留米に行って両親を説得したんですね。彼の中に既にビジョンがあった。1、2枚目のアルバムもそうなんでしょうが、彼のビジョンがその後の全てを決めていった。そんなきっかけになったのが、次の曲ですね。1981年7月発売、6枚目のシングル『白いパラソル』。



作詞が松本隆さん、作曲が財津和夫さんというシングルの最初の曲ですね。3枚目のアルバム『シルエット』の中に「白い貝のブローチ」という曲があって、それが松本隆さんが初めて聖子さんに書いた詞で、作曲も財津さんです。松田聖子さんのそれまでのアイドルとの最大の違いは、作家陣ですよ。ニュー・ミュージック系、中でもシンガー・ソングライターが起用されている。その先陣を切ったのが財津さんだった。4枚目のシングル『夏の扉』、5枚目のシングル『チェリーブラッサム』の曲が財津さんですね。その時は作詞が三浦さんだったんですが、この「白いパラソル」から松本さんに変わります。松本さんと聖子さんは、他のどんな女性アイドルと作詞家の関係とも違うものがあるんですが、この「白いパラソル」もその片鱗が見えますね。例えば、「あなたから誘って知らぬ顔はないわ」。相手の男性にあやふやな人ねって言っちゃう。もう一つは「風を切るディンギー」っていう小道具が出てくる。この曲を聴いた多くの女性がディンギーって何かしらと思ったという話がありますが、これは1人乗り用のヨットですね。大滝詠一さんの曲にも出てきますね。こういう主人公女性のキャラクターの描き方や小道具、情景のディテールが他の作詞家と全く違う。ここから始まりました。この後のシングルを紹介します。1981年10月発売、「風立ちぬ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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