クラフトワークの共同創設者、フローリアン・シュナイダーが73歳で死去

70年代から80年代にかけて何度もラインナップを変更しながら、シュナイダーとヒュッターのパートナーシップはグループの創造的なバックボーンであり続けた。デュオは著名なクラウトロックのプロデューサー、コニー・プランクと一緒に3枚のアルバムを録音している(1970年の『Kraftwerk』、1971年の『Kraftwerk 2』、1973年の『Ralf und Florian』)。しかし、クラフトワークは1974年のアルバム『Autobahn』こそ、2014年にグラミー賞生涯業績賞にも輝いた、彼らのキャリアが真に始まった瞬間だと考えている。

シュナイダーとヒュッターは、『Autobahn』でクラフトワークのサウンドを確固たるものにした。催眠術的なループと反復するビート、シンセ、ヴォーカルを駆使して、レコードの片面に丸々収録されたタイトル曲のように、無限のサウンドスケープを生み出した。




カール・バルトスとヴォルフガング・フルールがエレクトロニック・パーカッションに加えたクラフトワークは、1975年に『Radio-Activity』、1977年に『Trans-Europe Express』を発表した。後者はデヴィッド・ボウイの1976年作『Station to Station』にインスパイアされたもので、両者の間でリスペクトが育まれ、ボウイの『Heroes』に収録された「V-2 Schneider」はシュナイダーへの頌歌となった。



シンセサイザーの世界に飛び込む前、シュナイダーはフルート奏者だった。「フローリアンはフルート出身で、同じ学校でクラシック・オーケストラに所属していたんだけど、その時にはすでにイコライザーやディレイ、ファズボックスなどのガジェットを使って音を操作していたんだ。それらはエレクトロニックなサウンドではあったが、コンピューターやシンセサイザーに近いものではなかった」と、かつてのクラフトワークのメンバーであり、ノイ!の創設者でもあるギタリストのミヒャエル・ローターが2016年にUncutへ語っている

ヒュッターがクラフトワークの声でありマウスピースであったのに対し、シュナイダー(ドイツのボン空港を設計した建築家ポール・シュナイダー=エスレーベンの息子)はプレスに対するシャイな態度で有名だったが、バンドを境界を超えた限界へと導いたことで知られている。「フローリアンは音フェチなんだ。私はそうではなく、どちらかというと言葉のフェティシストだね」とヒュッターは2005年にMojoに語っている。「これらの役割は義務ではなく、私たちの好みとして長年に渡って発展してきたものなんだ」

Translated by Rolling Stone Japan

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