史上最強のA&R近藤雅信が語る岡村靖幸「色々な方に彼の論文を書いてもらいたい」



田家:2013年10月のシングル『ビバナミダ』。メーカーはV4 inc.近藤さんの会社です。独立して第一作だった。独立第一作のシングルってどんなもんですか?

近藤:第一作とかそんな考えてなかったかもしれないですね。

田家:ここからやってくんだっていう気負いとかもなく?

近藤:岡村くんと仕事を始めるっていうことで、ライブをやったり作品を出したりっていう中から出てきたものだから、1枚目だからっていう感慨はなかったですね。何年か経ったら総集編的な感慨が出てくるかもしれませんが(笑)。

田家:レコード会社のスタッフが、そこを独立して、担当しているアーティストと一緒に事務所を作るケースはそんなに珍しくないことなんでしょうか?

近藤:僕の場合はちょっと違っていて、ユニバーサルを辞めた後にアルファ時代の上司の川添象郎さんとV3っていう会社を1年ちょっとくらいやってるんですよ。で、そこではふくい舞ちゃんの『いくたびの櫻』とかをプロデュースしていて。で、その後に川添さんのソロ仕事が忙しくなって、僕も岡村くんとかで忙しくなったんで、じゃあ別会社にしましょうっていうことで作ったのがV4なんですよ。なので繋がっている感じはなくて。たまたまある人を介して岡村くんのマネージメントをしないかっていう話をいただいて始まった感じですね。

田家:2004年に発売になったアルバム『Me-imi』には、A&Rプロデューサーとしてクレジットされていたわけですが、そういう自分の担当アーティストを持って事務所を作ったわけではないんですね?

近藤:持ってではないですね、それぞれ離れていて再会したって感じですね。



田家:アルバム『幸福』の中の収録曲「愛はおしゃれじゃない」、シングルカットもされました。Base Ball Bearの小出祐介さんとのコラボレーションで作詞は小出さんですね。先程の話ですが、レコード会社にいた時から付き合っていた岡村さんと、事務所として関わるようになってからっていうのは、違う発見はありましたか?

近藤:両方経験できるのも稀有なことだと思うんですけど、レコード会社ってミュージシャンにとっては親戚のおじさんみたいなもんだと思うんですよね。事務所って僕のイメージですけど、親父とかお袋みたいな感じがしていて。結局、生活全般っていうことに気を配らないとといけないし、ある種の健康、精神管理みたいなのもあると思いますし。だから、ミュージシャンとレコード会社、事務所っていうとは感覚が違いますよね。

田家:相当違いますよね。

近藤:違う脳みそ、違う筋肉を使う感じはありますね。

田家:実際の仕事でやらないといけないことでも、それまで事務所がやっていたことを自分でやらなければならなくなりますし。

近藤:50歳超えるまで、レコード会社に居たので、請求書も書いたことないし(笑)。

田家:もらう方ばっかりでしたでしょうね。

近藤:いい勉強になりましたね。コンサート制作もしたことがなかったし、CM制作の話は来てもギャラいくらにすればいいのかとか、全部分かんないんですよ(笑)。

田家:近藤さんがV4inc.で岡村さんを手掛けて初めてのアルバム『幸福』が2016年に出たわけですが、11年半ぶりだったわけでしょう。戦略は立てたりしたんですか?

近藤:気にしたのはジャケットのアートワークとか、作品を取り巻く環境をすごく気にしました。作品が絵であれば、環境って額縁じゃないですか。ちゃんとマッチングする額縁がないといけないとか、よく本人にも言うんですけど、鰻重って冷えたら美味しくないじゃないですか。冷えても美味いものもありますけど、できれば日本家屋でちゃんとした白木造りのテーブルとかカウンターで食べたいと思うんですよ。そういうとこで食べたらさらに美味い。そういう鰻重を世の中に提案したい。そういう感じですね。

田家:その環境づくりが朝日新聞の全面カラー広告だったりしたと。

近藤:新聞の全段広告っていうのは結構好きで。サディスティック・ミカ・バンドとかYMO再結成(再生)でもやりましたけど、僕にとっては新聞全段広告っていうのは重要なときにやるんですね。これはお参りみたいなものなので(笑)。

田家:ちゃんと御利益がありました。それではアルバム『幸福』の最後の曲「ぶーしゃかLOOP」。

Rolling Stone Japan 編集部

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