史上最強のA&R近藤雅信が語る岡村靖幸「色々な方に彼の論文を書いてもらいたい」



田家: 2004年のシングル『モン・シロ』ですね。アルバムは『Me-imi』に入っておりました。ユニバーサル・ミュージックへの移籍第一弾。

近藤:僕は当時Def Jam Japanっていうレーベルにいて、岡村くんに来てもらったという感じですね。

田家:誘ってきてもらった?

近藤:誘いました。大体、向こうから来たいっていうミュージシャンはなかなかないですよ(笑)。来ませんかって声かけないと。

田家:来ませんかね(笑)。このDef JamというレーベルはHIPHOPやR&Bの専門レーベルで、アメリカでは1984年に出来て、2000年にDef Jam Japanというのが始まって、近藤さんはこのDef Jam Japanのレーベルヘッド。

近藤:僕が入ったのはちょっと後なんですけど、当時はニトロとかトコナXとか、ピュアでコアなHIPHOPアーティストがいっぱいいるレーベルで、そこで歌物っぽい作品を入れていこうっていう。本国でのDef Jamもそうなっていった時期ですし。

田家:レーベルをやりたいっていうのは近藤さんの方から言われたんでしょうか? 会社の方から?

近藤:えーとね、ワーナーを辞めた時に何社か誘ってくれたところの一つが石坂(敬一)さんのところで。石坂さんに連絡してお世話になりたいんですけどって僕から連絡させていただいて。そこで提示された選択肢の中でどれがいいって訊かれて、Def Jamを選びました。

田家:『モン-シロ』のシングル盤では、帯に”Def Jamってどんな会社?っていうコピーがついていたんですよ。こういうコピーがついてるシングル盤って珍しいなと思って、今でもとってあるんですけど。このコピーは近藤さんがお付けになった?

近藤:これは僕じゃないんですよ、本人だと思うんです。当時の現場のA&Rと相談してつけたと思うんですよ、未確認情報ですけど。

田家:今自分が移籍した会社がどんな会社かっていうコピーは初めて見ました(笑)。

近藤:その時から、彼はある種、質問に関しての天才だったと。質問力って今上がってますけど、この辺からもう高まり始めていたんじゃないでしょうか。

田家:なるほどね。そんな出会の中でどんなことを感じられたかはまた後ほどお話ししていただきます。そうやって始まったアルバム『幸福』に入っておりました「ビバナミダ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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