東芝EMIからワーナーへ ユーミンら時代を彩ったアーティストを近藤雅信が語る



田家:「J-POP LEGEND FORUM」近藤雅信Part3。史上最強現役A&Rプロデューサー、株式会社V4Incの代表取締役である近藤雅信さんの軌跡を辿る1ヶ月。流れているのは竹内まりやさんの後テーマ「静かな伝説(レジェンド)」です。ロンドンは東芝EMIで行っていたわけでしょう? それほどの待遇があってもワーナーに移られたのは何故なんでしょうか?

近藤:うーん……。色々な理由っていうか、石坂(敬一)さんの存在がデカい。石坂さんが東芝をお辞めになったのは石坂さんが49歳の時。その頃よく一緒に飲みに行っていたんですけど、「近藤、人生は二毛作だ」、「男は40代で結論を出す」っていうことをよく言っていたんです。そのときはあまり意味が分からなくて、彼はその後ポリグラムに行かれたわけですけど、あれは業界もショックでしたしスタッフもショックでしたよね。当時、僕も含め部下は青天の霹靂だったんじゃないかと思いますし、それがその後に色々な影響を与えたと思うんですよ。それまで会社を変わるって僕は考えたこともなかったし、石坂さんが会社辞めた時に「会社って変わるもんなんだ」って思った。石坂さんの部下は、皆石坂さんの部下として一生を終えるもんだと思っていたと思うんです。それが石坂さんが辞められた時に、皆いろいろ考えましたし、僕も考えたんでしょうね。

田家:当時の常務っていう肩書よりも、ユニバーサル・ミュージックでレーベルを任されたりする方が面白かった。

近藤:うーん、一言で説明できない外資系の事情とか自分の意思もあるし、色々なものの結果ですよ。まあ最後には石坂さんともう一度一緒に仕事ができたので良かったですね。

田家:人生の決断はそんな簡単ではないですよね。来週もお話は続きます。



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田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソナリティとして活躍中。
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Rolling Stone Japan 編集部

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