東芝EMIからワーナーへ ユーミンら時代を彩ったアーティストを近藤雅信が語る



田家:1週目はアルファレコード時代、2週目は東芝EMI時代の話を伺いましたが、今週はその先、ワーナーからユニバーサル時代ということになりますね。今週も近藤さんに曲を選んでいただいたんですが、1曲目が今まで出て来なかったユーミンだった。1985年のアルバム『DA・DI・DA』に収録されていた「青春のリグレット」ですね。これは1984年に麗美さんに提供した曲のセルフカバーです。東芝時代は抱えているアーティストが両手では足りないくらいの数を担当されていたわけですね。

近藤:はみ出しちゃいましたね。すいません(笑)。ユーミンと宣伝で仕事に関わらせていただいたのは、レコードビジネスの絶頂期に向かう頃ですね。優れたミュージシャンって忘れられないエピソードがあるものですけど、ユーミンはそういう話がとびきり多かった一人ですね。その時期は、毎年11月にユーミンのアルバムが出たんですけど、ユーミンコンバットっていう、宣伝スタッフが全国に散って2週間滞在する企画があったんですね。僕は札幌だったんですけど、札幌市内のメディアとレコード屋をぐるぐる回って、発売前日、当日、次の日くらいは店頭に立って売るんですよ。その時にユーミンがどこで言われたか忘れちゃったんですけど、「私のレコードはバナナの叩き売りのように売っていいのよ」って。

田家:売っていいんですか(笑)。

近藤:「どうしてですか?」って訊いたら、「だって品質がいいんだからどういう風に売ってもいいのよ」って。その言葉が僕にとってはその後の仕事をやる上でも印象的で。だからと言って何をやってもいいわけじゃないんですけど、それくらいの自信がないといけないっていうことをユーミンに教えられましたね。

田家:なるほどね、良いものだからどんな風に売ってもいいんだと。

近藤:当時はプロモーションで1日5,6誌の取材を受けるんですよ。ユーミンとは半日くらい一緒な時期もあって。雑誌のインタビューを横で僕が聴いているんですけど、インタビューによって同じような質問でも微妙に答えが違ったりするんです。で、休み時間にユーミンに「微妙に答え違いますね」って訊いてみたら、ニヤッと笑って「あなたが飽きないように答えてんのよー」って言っていて(笑)。そういうことがありましたね。

田家:(笑)。同じテーマでも少しづつニュアンスを変えて話をするっていうのは、そういうキャリアの人がうまいですよね。

近藤:ですし、言われてみればユーミンのファンは色々な雑誌のインタビューを読むわけで、答えが違う方が楽しめるじゃないですか。キャンディは一つの味じゃないっていうことをユーミンが実践していたので、それはすごく勉強になりましたね。

田家:それがスーパースターの一つの凄みなんでしょうね。

近藤:他にも色々なエピソードがあるんですが、ユーミンのエピソードで言うと、岡村(靖幸)君に関わる話なんですけど、5,6年前にユーミンのコンサートに岡村くんを連れて行ったんですよ。で、「ユーミンご無沙汰してます、今事務所をやっているんですけど、そこでやっている岡村靖幸です」って紹介したんですよ。そしたら、またニヤッとして「お化け屋敷からお化けが出ないないよね?」って言ったんですよ(笑)。やられました。

田家:二人ともお化けだと(笑)。流石ですね。お聴きだいたのは、松任谷由実で「青春のリグレット」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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