ビートルズ伝説の幕開け、『プリーズ・プリーズ・ミー』完成までの物語

午後5時〜6時:「ミズリー」

他のアーティストへ楽曲提供するソングライターとしての地位を確立したいと考えていたレノンとマッカートニーは、バンドとツアーを回った若きシンガー、ヘレン・シャピロへ提供するために「ミズリー」を書いた。ところが残念なことに、イギリスのレコード・プロデューサーのノリー・パラマーは、ティーンエイジャーだった彼女には、やや陰気なテーマの楽曲は似つかわしくないと考えた。「彼女側から拒絶されたんだ」とマッカートニーは振り返る。「どちらかと言えば憂うつな曲だったので、彼女が歌ったとしてもヒットしなかったかもしれない。かなり悲観的な内容だったからね」最終的に楽曲は、バンドの別のツアーメイトだったケニー・リンチがレコーディングした。レノン=マッカートニーの楽曲をカヴァーした初のケースとなった。




曲自体は、リンチよりもビートルズ・バージョンの方が時期的に早くレコーディングされた。完了までに11テイクかかったが、あらゆる面からテイク1がベスト・バージョンだった。テイク1では、スターのドラムにオカズが多く(最終的にはカットされた)、エンディングには勢いのある“ウー”や“ラララ”のコーラスが入っている。残念ながらブリッジ部分でハリスンのギターがもたついたため、同テイクはOKとはならなかった。テイク2もほぼ良かったが、ハリスンのギターが歪んできているのに気づいたマーティンがストップをかけた。「ジョージ、もう少しクリーンなサウンドにしてくれ。それからもう少しボリュームも絞って」と指示した。それから何度かレノンが出だしの歌詞やコードを間違えると、「そこの歌詞は“I won’t see her no more”だよ」とマッカートニーが助け舟を出した。テイク6は、恐らく全テイクの中で最も興味を惹くバージョンだろう。力強いドラム・フィルに加えハリスンのギターも凝っていたが、ファイナル・バージョンにはならなかった。マーティンはこのバージョンを少々騒がしいと感じたため、テイク7ではより効率的なアプローチを指示した。

ブリッジのギターの下降ラインがなかなか決まらなかったため、プロデューサーはハリスンに、その部分は弾かないように言った(レコーディングから9日後の2月20日、マーティンはバンド抜きで自らピアノでそのフレーズを弾いてオーバーダビングした)。テイク8は、スタートしてすぐにマッカートニーが「ストップ。彼が歌詞を間違えた!」と、嬉しそうにレノンを指差した。午後6時のディナータイムを前にして、テイク9がその日最後のトライだった。マーティンは、テイク7の最初の部分とテイク9の最後をつなぎ合わせ、アルバム用のファイナル・バージョンとしている(同編集バージョンでは、レノンが3番の出だしで“センド”と歌うべき歌詞が“シェンド”と言っているように聴こえる)。

午後6時〜7時30分:ディナータイム

午後のセッションを終えたところで、空腹だったであろうビートルズは、EMIの質素な食堂で手早く食事を済ませたと思われる。彼らがレコーディング状況を案じるには、それなりの理由があった。この時点でスタジオ割り当て時間の3分の2を経過していたが、予定の半分の曲しかこなしていなかったのだ。アルバムをスケジュール通りリリースするためには、残り2時間半で5曲を片付けてしまう必要があった。しかし幸運にも、残りのほとんどはカヴァー曲で、バンドのレパートリーの中でも得意な楽曲だった。彼らにとってそれらの楽曲はお手のもので、ハンブルクのクラブで毎晩長時間演奏していた時のように、寝ながらでも演奏できただろう。アルバムの完成を目指し(時計も気にしながら)、ペースを上げるため、メンバーはスタジオ2へぞろぞろと帰ってきた。

Translated by Smokva Tokyo

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