ビートルズ伝説の幕開け、『プリーズ・プリーズ・ミー』完成までの物語

ザ・ビートルズは、デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』に収録された楽曲の大半を、一日のスタジオ・セッションでレコーディングした。(Photo by Hulton-Deutsch Collection/Corbis/Getty Images)


午後10時15分〜10時30分:「ツイスト・アンド・シャウト」

もう午後10時になっていた。規則ではスタジオを出なければならない時間だった。ここまで超人的なスタミナを発揮してきたビートルズだが、中途半端に終わった「ホールド・ミー・タイト」を差し引くと、アルバム用にあと1曲必要だった。翌朝バンドには、イギリス北部ランカシャー地方のオールダムへの長旅が待っていた。彼らにはもう時間がなかった。マーティンはルールを少し曲げ、時間外にあと1セッションこっそりと行うことにした。でもどの曲をレコーディングすべきか?

「午後10時頃、全員がスタジオの食堂へ行き、コーヒーとビスケットで休憩していた。僕らはマーティンと、アルバムに収録する最後のトラックについて真剣に話し合ったんだ」とマッカートニーは振り返る。NME誌の取材に来ていたジャーナリストのアラン・スミスも、その場に居合わせた。「全員が食堂に押しかけて混み合っていた。確かジョージが“ラストの曲はどうするんだ?”と言ったと思う」とスミスは、BBCのドキュメンタリーで証言している。「僕が、“何週間か前に、君らの演奏する『ラ・バンバ』がラジオで流れていたよ”と言うとマッカートニーがちょっと考え込み、“それは『ツイスト・アンド・シャウト』だ!”と言った。“そうそう、『ツイスト・アンド・シャウト』だった”」そうしてすぐに曲が決定された。

マーティンは、キャバーン・クラブでバンドが同曲を演奏し、会場全体を巻き込むパワーを目の当たりにしていた。「ジョンは文字通り叫んでいた」とマーティンは振り返る。「体を切り裂くように歌っていたから、1曲終えるごとに彼の喉がどうなるかは、神のみぞ知るという状態だった。だから最初のテイクで仕上げる必要があった。テイク2以降は絶対に上手くいくはずがない、という確信があった」という。バンドがスタジオ2でのその晩最後のチューンナップをしている間、マーティンには、上手くやり遂げられるかどうかという深刻な問題があった。「その時点でメンバーの喉は疲れて傷んでいた」と、セッション・エンジニアのノーマン・スミスは、『ザ・ビートルズ・レコーディング・セッションズ』の著者マーク・ルーイスンに語っている。「レコーディングを開始してから12時間が経ち、特にジョンの喉は限界を超えていた。だからこそ1テイクで完了させなければならなかった。ジョンはさらに何粒かのど飴を口へ放り込み、ミルクでうがいをしてレコーディングに備えた」ジョンはシャツを脱ぎ、マイクの前に立った。



22歳のジョンは頭をのけぞらせ、悲痛な叫び声を上げた。それから50年経った今もなお、痛みに歪んだ表情と無意識に頭を振って歌う姿が目に浮かぶ。「まともに歌うことなんてできなかった。ただ叫んでいたんだ」とジョンは、1970年に行われたローリングストーン誌のインタビューで告白している。「最後の1曲でほとんど死にそうになった」と後に語った。「それからしばらくの間、声がおかしかった。ものを飲み込むたびに、喉が紙やすりのように感じた。本来とは違うそんな声で歌うのは、本当に恥ずかしかった。でも今では気にしなくなったよ。ただ必死になってベストを尽くしたという風に聴こえるだろう」

ジョンの激しい情熱と献身的な姿は、歌のピッチの不安定さや声のうわずりを埋め合わせ、むしろ傷ついた美しさを感じさせる。へとへとになるほど疲れる一日を過ごしてきた他のメンバーは一体となり、より印象的で激しい演奏を行った。スターのドラムの激しさは最高潮に達し、マッカートニーとハリスンは、完璧なハーモニーのコーラスと元気の良い雄叫びで、疲弊したシンガーを盛り上げた。「ジョンは自分で、その日の声の調子がどうだったかをわかっていた。あと1回か2回歌うと喉が潰れそうで、実際にそうなった」とマッカートニーは証言する。「声の状態はレコードを聴けばわかるが、逆にクールなパフォーマンスになった」と言う。ビートルズのデビューアルバムを締めくくる曲のラストでは、マッカートニーが思わず“ヘーイ!”と、メンバーへの称賛を込めた歓喜の声を上げている。

テイク2も軽く流したものの、出来はそう良くはなかった。レノンはテイク1で全てを出し尽くしていた。「テイク1は、アルバムには十分なクオリティだった。布を切り裂くようなサウンドが必要だったんだ」とマーティンは言う。ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」は、オーバーダビングなど編集なしの一発録りのままリリースされた。

午後10時30分〜10時45分:プレイバック

マッカートニーは振り返る。「レコーディングの最後に、ジョージ・マーティンがコントロールルームから驚きの声を上げたんだ。“君たちがこんなにもできるなんて信じられない。ここで一日中レコーディングしていて、やればやるほど君たちは良くなっていった!”ってね」

14曲のストックができ、これ以上することはなかったが、彼らは一日の出来を振り返った。午後10時30分、ビートルズのメンバーは、スタジオ・フロアからコントロールルームへと階段を上がり、自分たちのデビューアルバムを初めて耳にした。「デビューアルバムがプレイバックされるのを待つ間が、僕らにとって最も緊張する時間だった」とレノンは1963年に語っている。「僕らは完璧主義者なんだ。少しでも古臭さを感じたら、全部やり直したいと言っただろう。でも、運良く僕らはアルバムの出来にとても満足したんだ」

マッカートニーもジョンの意見に賛同する。「このアルバムは、僕らが一生の内で成し遂げたいと思っていた大きな目標のひとつだった。僕らはデビューアルバムが、このバンドそのものを象徴すると信じていたんだ。僕らにとってタイミング良く出ることが、とてつもなく重要だった。運良く、僕らは満足できた。ジョンの喉の調子は関係なく、満足できなければ全部やり直しただろう。僕らは皆そんなムードで、有頂天だったよ」

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Translated by Smokva Tokyo

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