「〜ぽさ」をめぐる実存と入稿:香山哲『ベルリンうわの空』の装丁設計で考えたこと

『ベルリンうわの空』香山哲(イースト・プレス刊)

トーべヤンソン・ニューヨーク(TJNY)のギタリスト、アートディレクター/デザイナー森敬太による連載第6回! 未知の「ベルリンぽさ」に思いを巡らせながら、本という物体を設計する思考の軌跡とは。

※この記事は2020年3月25日に発売されたRolling Stone Japan vol.10に掲載されたものです。

「もうちょっとベルリンっぽくしてもらえませんか?」という編集サイドからのメールに、「ファミコンぽさが出ていれば問題はないと思います」と心中をゼロ通訳で出力し、返信ボタンをサンダークリックする寸前でデザイナーは我にかえります。

ハイエナがサバンナで生きていくために必要なのは、飢えの足音をその来訪より早く聞き取る能力。デザイナーが出版荒野で生きていくために必要なのは、請求書をスムーズに作成送付する能力と自己を懐疑し省みる能力です。提出したカバー粗ラフ.pdfを出力、本の形状に折り机に立て、周回するスパイ衛星の軌道で椅子を転がします。「ベルリンぽさ」の濃度を観測しようとしたところで早々に去来するのが、一体それはなんなんだというアラート。

大喜利型人生において、このような404エラーはしばしば訪れます。我々は常に「ぽさ」を探し求めて彷徨しており、私の両肩にも今週中に「スンニ派ぽさ」と「思春期前のやんちゃな動物(二匹)ぽさ」をそれぞれビジュアル変換する仕事が積まれています。

見知らぬ「ぽさ」を探す際、指標としていつも私の瞼に浮かぶのがすき家の店内の光景です。すき家の「すき家っぽさ」を形作っているのは、黄色と赤の看板や頬張った牛丼のモソ感ではなく、視覚や味覚の外側に存在するすき家RADIOであるということは皆さんもご存知の通りでしょう。例え南仏のビストロでニジマスのミキュイに舌鼓を打っていたとしても、唐突にスピーカーからすき家RADIOが流れてきたらそこはすき家マルセイユ店であり、口中に存在するものはすき家のシャケ定食になるんです。牛丼屋の「ぽさ」が卓上の丼ではなくスピーカーから発生しているというこの事実は、中枢は辺縁によって形作られているという私の持論を補強する柱となっており、未知の「ぽさ」のミキシングビルド作業を行う際の指標でもあります。

今回の場合、描き出すべきなのはベルリンそのものではなく、人々の生活が我々の住む国とは少し違った角度/温度/速度で展開される場所があるという空気感。ファミコンぽさやお菓子ぽさの辺縁が接し、結果的に著者の生活を通して描かれる「遠いベルリン」を適温演出する最適の金型となります。

脳内会議は万雷の拍手と共に終了、鳴り止まないスタンディングオベーションに軽く手を振ってウインク一つでこの世を渡り、造本設計のフェーズに移行します。

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