NYパンク・ファッションを牽引した、カリスマ店員ジミー・ウェッブが62歳で逝去

パンク・ロック系のセレクトショップ「トラッシュ&ボードビル」のカリスマ店員でありスタイリストのジミー・ウェッブ(Photo by Theo Wargo/Getty Images)

ニューヨークにある有名なパンク・ロック系のセレクトショップ「トラッシュ&ボードビル」にて、ロックンロールファッションを牽引した、カリスマ店員でありスタイリストのジミー・ウェッブが62歳で他界した。

ニューヨークにある有名なパンク・ロック系のセレクトショップ「トラッシュ&ボードビル」の店長兼バイヤーだったジミー・ウェッブ。のちに自身が経営するショップI NEED MOREを開店したファッショニスタの彼が、米現地時間4月14日の朝に62歳でこの世を去った。ウェッブの友人ハート・モンタルバーノがローリングストーン誌にウェッブの死を認め、死因はがんだったことも教えてくれた。

ウェッブ自身はミュージシャンではないものの、ショップの顧客だったイギー・ポップ、ガンズ・アンド・ローゼスのダフ・マッケイガン、ジョーン・ジェット、ブロンディのデボラ・ハリーとクリス・スタインなどのロック界の人気者と親交を深め、彼らに頼りにされていた。ウェッブの死が公表されると、きらびやかな人生を送ったウェッブに対して、錚々たるミュージシャンが次から次へと哀悼の意を表した。

デボラ・ハリーは、ローリングストーン誌に「みんな、素敵な友人ジミー・ウェッブを恋しがるでしょう。ニューヨークのユニークで愛おしいキャラクターが一人いなくなってしまったわ。彼と知り合えた私はラッキーね」と、コメントを寄せてくれた。

「ジミー・ウェッブは最高の友だちだった」で始まる文章を投稿したのはセバスチャン・バック。彼の投稿は「1987年から2011年まで履いたキューバンヒールのブーツは全部トラッシュ&ボードビルでジミーから買ったものだ。ブラザー、安らかに眠ってくれ。あんたがいなくなって寂しいよ。あんたは本物のロックンロールの時代を生きた男だった」と続いた。

「胸が裂けそうなほど悲しい。ジミー、あなたはニューヨークの宝だ。いつだって元気を振りまいて、大声で話しながら生きていた」と、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングが投稿すると、マッケイガンがそれに付け足すように「最高に優しい男で、純粋過ぎるほどのパンクロックな男。ジミーは逸話だらけで、俺も家族も彼の大成功物語の末席に参加させてもらえて光栄だし、嬉しい。俺たちはあんたが大好きだ、ジミー。これから寂しくなるよ、ブラザー」と投稿した。

・グリーン・デイのビリー・ジョーとビリー・アイリッシュが対談

ウェッブがトラッシュ&ボードビルで働き始めたのは1999年で、すぐさまショップのトップ店員になり、店長兼バイヤーへと昇格した。完璧にフットするスキンタイトのジーンズと本物のオリジナルスタイルを見抜く目を持った彼は、パンクロッカーとポップスターの服装を近づけた立役者で、ラモーンズからビヨンセ、ジャスティン・ビーバーまで、あらゆる人気者のスタイリングを手掛けた。ウェッブ発案のスタイルはローリングストーン誌、MTV、ヴォーグ誌でも特集を組まれたほどだ。

「彼は唯一無二でした。有名でも、リッチでも、ロックスターでもなかったし、普通の人だったのですが、実は就業時間中は全身全霊で仕事をしていました。自分がスタイリングした相手が最高にカッコよく見えることの喜びや嬉しさが彼の生きがいだったのです。彼にとってラッキーだったのは、スタイリングの能力に秀でていたことです」と、ジャスパー・マクグランディが教えてくれた。マクグランディはウェッブの友人で、かつてトラッシュ&ボードビルで2年半一緒に働いていた。彼は「ショップにやってくるセレブリティとジミーのやり取りは見ていて楽しかったです。でも、それ以上に心がほっこりしたのは、店にやってきた子どものためにディスカウントしたことや、半年かけてお金を貯める子どものために、その子が欲しいパンツを棚から下ろして保管していたことです。頭脳も心もビッグな男でした」と続けた。

ロックンロール界のファッショニスタとして活躍する以前のウェッブは、薬物中毒に苦しみ、ホームレスだったこともある。ニューヨーク州ワイナントスキル育ちで、高校卒業後にコネチカットのコミュニティ・カレッジに進学して短期間過ごした。ニューヨーカー誌に彼が語ったところによると、ニューヨークに引っ越してきたとき、「ゲイバーでカクテルを運ぶ」仕事を得たが、「その先の自分の姿が見えたし、それ以上のものになりたかった。踊って暮らしたかったから、家出少年たちとストリートに出た。恐れは一切なかった」らしい。

自称「家出少年」のウェッブはダンスが大好きだった。子供の頃にダンスレッスンを受けていたこともあり、スタジオ54などのクラブに頻繁に通っていた。そして、クラブに行く日は何時間もかけて着ていく服をスタイリングしたものだった。彼は、ずっと前からトラッシュ&ボードビルで働きたかったが、この店に雇われたのは1999年だったと、ヴォーグ誌に語っていた。

トラッシュ&ボードビルに勤務する間に、彼の大胆で斬新なスタイリングとキャラクターがショップの常連や近隣の人々の知るところになる。そして、彼はヴォーグ誌が呼ぶところの「セント・マークス・プレイスの絶対的な町長」もしくは「パンクロック界の非公式ショップキーパー」となった。2017年、彼は自分のブティックI NEED MOREを開き、ここで死が訪れるまで仕事を続けた。

「洋服は全体の見え方が肝心だ」と、2007年にニューヨーカー誌でウェッブが語っている。「一つだけ目立ってしまうと、美しいコートが通りを歩いているとか、クールなパンツが地下鉄に乗っているとしか見えない。それぞれのアイテムのテイストが多少異なっていても、すべてが混じり合えばいい。とはいえ、ボゾラインは超えちゃダメだ(訳註:ボゾとはゆかいなピエロのボゾのこと)。ボゾラインは俺が作った新語だ。絶対にボゾラインを超えちゃダメなんだよ。今の俺はボゾっぽい服装だけど、ボゾと違って完璧におしゃれだ。どうしたわけか、何千ドルもする洋服とアクセサリーでも、20ドルのシャツ1枚でも、俺はおしゃれに見えちゃうんだよ」と。

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Translated by Miki Nakayama

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