ー松隈さんはアイドルの楽曲プロデュースだったら、オーダーに合う曲を考えると思いますが、Buzz72+だと自分の中から出てくる衝動や感情を曲にするじゃないですか。当時はどういう時にインスピレーションを得ていたのでしょうか?
松隈:当時は毎週のようにライブがあったんです。さっき挙げたようなバンドがツアーで福岡に来た時も一緒にやって、その都度、彼らの演奏を観て刺激を受けていましたね。毎週新しい音楽に触れている感覚はあって、そこからインスピレーションは感じていたと思います。そういう全国を回れるバンドは地元のバンドとはやっぱり違うんですよ。例えば、東京から来るバンドのリハを見て、「あんなヘンテコなベースの音で大丈夫か?」って思ったんですけど、バンドで一気にドーンと音を出すと音が塊で来る。売れているバンドってアンサンブルで考えているんだなって。かなり研究しました。
ー福岡での活動のあとは、上京してメジャーデビューを果たしました。地元への恩返しや地元の音楽シーンを引っ張っていこうという意識もあったんですか?
松隈:福岡は特殊で、地元愛が強いくせに上京志向が強い地域なんですよ。地元で音楽を盛り上げようとせず、東京に行くっていう思考なんですよね。実際、昔から東京で活躍する福岡出身のスターがたくさんいるし。
―武田鉄矢さんとかチェッカーズも福岡出身ですよね。
松隈:地元でちょっと頑張っても大して評価されず、やっぱり東京行ってなんぼみたいなこともあって。帰ってくる=売れずに帰ってきたと思われて、ちょっとダサく見えちゃう感じがあった。僕はそれが寂しいなと思っていたんですけど、僕の今の形なら帰っても自然だし、全盛期で帰りたい想いはあったので、僕個人のイメージ通りに進んだのかな。東京行かなきゃ埒が明かないっていう感覚を変えたくて、福岡だけでも盛り上げることはできるんじゃないかって今も思っています。
ー松隈さんと井上さんは、Buzz72+が解散状態になってから連絡を取っていなかったそうですが、他のメンバー2人とは会っていたんですか?
井上:僕はあまり会うことはなかったですね。
松隈:僕はたまに飲みに行ったりしました。やっぱり2人に音楽を辞めてほしくなかったので、僕のプロデュースしているBiSHとかBiSのレコーディングの手伝いとかしてもらっていましたね。BiSの「Give me your love全部」とか、BiSHのアイナ・ジ・エンドがBuzz72+の「屋上の空」をカバーしてくれた時は、僕が福岡に行ってスタジオを借りて彼らの演奏を録音したりしました。