YMO、岡村靖幸らに携わってきた史上最強のA&R・近藤雅信のキャリアを辿る

近藤雅信(左)と田家秀樹(右)




田家:今流れているのは高橋幸宏さんで「1%の関係」。近藤さんの選ばれた6曲目です。1990年2月に発売されたシングルですね。これは発売が東芝EMIで、作詞が鈴木慶一さんですね。この曲を選ばれた理由は?

近藤:AORブームってあったじゃないですか。何事もそうなんですけど、ものすごく良いものと厳しいかもというものがAORの商品として流通していくことがある中で、きちんとしたAORをやろうと思って作ってもらった1曲ですね。

田家:これは東芝EMIになってからですね。近藤さんはアルファはいつまでにいらっしゃったんでしたっけ?

近藤:1985年の6月いっぱいまでだったと思います。7月末から東芝EMIだったと思います。

田家:その頃にアルファが変わってきたのと近藤さんがお辞めになったのはリンクしている?

近藤:そうですね。村井さんがいるいないっていうのも大きかったし、YMOも終わったし、もう一回自分を0のところにおいてやろうかなと思ったんでしょうね。

田家:東芝EMIはヘッドハンティングだったと伺っております。

近藤:厳密にはヘッドハンティングではないと思います。辞めるって決まったら周りの方々が心配してくださって、その中であった話で東芝EMIの石坂敬一さんに会わないかっていう話があって、面接したという経緯です。

田家:石坂さんとそれまでもお付き合いがあったわけでもなく?

近藤:付き合いはなかったですね、ただ村井さんと石坂さんは仲が良かったので。アルファのパーティにたまにいらしたことがあって、そこで1回ご挨拶はしたことがありますけど、親しくさせていただいたわけじゃないですね。

田家:石坂さんの印象はどうだったんですか?

近藤:洋楽ディレクターのスーパースターでしたからね。ビートルズのディレクターであり、T-REX、ピンクフロイドとか、コックニー・レベル、シルヴァーヘッドとか色々やっていたイメージと、日本のアーティストだとクリエーションとか角川映画。一貫してぶっとい仕事しているイメージでしたね。

田家:東芝にイーストワールドっていう邦楽ロックレーベルがあって、そこに行くというお話ではなかったんですか。

近藤:いや、最初宣伝部に入ったんですけど、歌謡曲からロックまで全部を一つの宣伝部でやっていました。本田美奈子もやっていたし、西村知美とか浅川マキさんとかBOØWYとかRCサクセションとか色々。

田家:この話の続きは来週ですね。YMOの3人の中でも幸宏さんの役割ってどんなものだったんでしょう?

近藤:あの3人がよく集まったなって思いますけどね(笑)。幸宏さんはどういう役割かとよく聞かれますけど、ある種のボーカリストとしてとても優れている。ポップスということで言うと、ある種の洒脱さを持った物の考え方を持ち込んだ。あとはYMOにビジュアルのセンスを持ち込んだ人。「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の赤い人民服のビジュアルは、幸宏さんのBricksっていう当時やっていたブランドのデザインした服なんですけど、あれのモチーフは昭和初期のスキー服なんですよね。そういったものをもたらしたのも幸宏さんなんですよね。

田家:イメージプロデューサー的な部分もあったと。

Rolling Stone Japan 編集部

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