YMO、岡村靖幸らに携わってきた史上最強のA&R・近藤雅信のキャリアを辿る



田家:近藤さんが選ばれた4曲目、吉田美奈子「LIGHT’N UP」。1982年9月に発売になりました。9枚目のアルバム『LIGHT’N UP』のタイトル曲。この曲を選ばれた理由は?

近藤:この曲も大好きな曲だっていう理由だけですけど(笑)。この感じって日本のミュージシャンでなかなか出せないなと思っていて。ある種の洗練と泥臭さの要素をブラックミュージックって色々な角度から楽しむことができるんです。ただ、あるパーツを引っ張ることはできるんですけど、全部を飲み込んで自分の音楽にできる人ってなかなかいないなと思っていて。吉田美奈子さんは『扉の冬』っていうレコードでデビューして、当時はローラ・ニーロ的な表現で、それは松本隆さんプロデュースでデビューされたんですけど、その時から黒い要素ってあって、それがすごく結実した1つがこの作品じゃないかなと思っています。

田家:このアルバムのレコーディングは東京とニューヨークで行われました。

近藤:当時のメンツもだいぶお亡くなりになられてしまいましたが、生田さんっていうYMOの初代マネージャーの方がコーディネーションされていて、素晴らしいメンツでした。こんな人が入ってるんだってくらい美奈子さんの存在が強力で。美奈子さんがメインでザ・ブレッカー・ブラザーズとか色々な人たちが参加しているっていう美しい形だなと思います。この人が入っているんだっていうことに耳が行きがちですけど、この作品の中ではあくまでも吉田美奈子ってういう存在が立っていて、海外の名だたるミュージシャンが集まったっていう。

田家:YMOも日本よりも海外での評判が先になっていたりしますし、いわゆる日本と外国との距離感が一番当時近かったのがアルファだったのかなって思いましたが。

近藤:たぶんアルファっていう会社より村井さんと川添さんのコネクション、社交術、モノの考え方であったり、アルファとA&Mレコードの契約で、日本のアーティストをA&Mレコードを通して海外で出そうとかって情報が入ってきたり、そういうところからでしょうね。

田家:そこに惹かれていたっていうのも近藤さんとしてはありました?

近藤:あまり意識してなかったんですけど、その後色々な会社に行った時に思ったというか。アルファって港区を相手にするようなレコード会社のセンスがあったから。港区の人が喜んでくれればいいんじゃないのっていう(笑)。逆にそういう意識も強かったし、大手の会社は人も多かったし所属アーティスト数も多かったし、毎月毎月物凄い強力なラインナップだったりもするので。そういったものに対していいなあって思ったことはあるかもしれません。

田家:このアルバムはそういう日本の業界の中では、亀渕さんとかとうようさんとかお歴々の人たちの反応はどうだったんですか?

近藤:亀渕さんやとうようさんには意見を聞いていないんですけど、当時で言えば『アドリブ』という雑誌では評価されましたし、ジャズ、フュージョンの世界では大きな反応があったと思いますし、FMフレンドリーなアルバムということでよくラジオでかけていただきました。

田家:それは近藤さんの中で、そういう媒体がこのアルバムには向いているだろうっていうプランニングもあって?

近藤:それもあったし、引きが強いメディアの中で、良いメディアと恋愛できるところはどこかなと思ってそういう形になりました。

田家:吉田美奈子さんのアルバムの中ではこの時期が一番AOR、フュージョンっぽい時期ということになるんでしょうか。

近藤:この作品もそうですし、RVC時代に出ていた山下達郎さんがプロデュースした『TWILIGHT ZONE』とかもそういうエッセンスあると思います。

田家:でもこんなにファルセットを使った曲って無くなってきていますもんね。もっとゴスペルっぽいっていうか太くなっているというか。

近藤:そうかもしれないですね。とにかく音がリッチですよね。聴き惚れちゃう。

田家:このアルバムは2018年にはアナログ盤として復刻されたようですね。アナログ盤で聴くとやっぱ違うんでしょうねえ。

近藤:僕はアナログ派なので未だにアルファ時代のアナログ聴いていますけどね。

Rolling Stone Japan 編集部

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