YMO、岡村靖幸らに携わってきた史上最強のA&R・近藤雅信のキャリアを辿る

近藤雅信(左)と田家秀樹(右)




田家:近藤さんが選ばれた2曲目、ブレッド&バターで1981年のシングル「あの頃のまま」。作詞作曲は呉田軽穂さん。アルバムは1979年6月に出た名盤『Late Late Summer』に収録されておりました。これはアルファに入った年ですもんね。

近藤:これはとても好きなレコードで、好きな曲ですね。

田家:最初は洋楽担当で入られたというお話でした。

近藤:海外からサンプル盤と称して20~30枚の輸入盤が送られてくるんです。それを聴いて、自分がいいなと思うレコードを洋楽の課長に相談する。50枚サンプルを輸入したいんですけどみたいな。それを評論家とかラジオ局のキーマンに配るようなことをやらせてもらっていたんです。並行して、スーパートランプとかポリスとかスティクスの『コーナーストーン』とか色々なアーティストのプロモーションをしていたんですけど、大体持っていく相手って決まっていて、よく当時ニッポン放送にいた亀渕(昭信)さんとかに持っていってたりしてたんですよ。そしたら亀渕さんにある日呼び止められて、当時編成局長だったんですけど「君が持ってくるレコードはみんないいレコードなんだけど売れないよ」って言われて(笑)。それが僕的には衝撃でした。何度かそれに近い経験があって。レコードビジネスは、良い悪い以上にビジネスとして成立しなくちゃいけないっていうことを洋楽時代に経験する機会が何度かあって。今考えると当たり前なんですけどね(笑)。上司からも「お前の趣味はマニアックすぎて世の中じゃ難しいよ」とか言われましたし、本当にいい勉強させてもらいました。

田家:邦楽担当にっていうのはご自分で希望されたんですか?

近藤:アルファは小さい会社で当時も百人もいませんでしたし、僕が入って半年後くらいに人事があったんですけど、宣伝部ができて。そこは他のレコード会社と違って洋楽も邦楽も一つの宣伝でやっていたんです。ポリスの宣伝やりながらブレッド&バターとかYMOとかサーカスもやるっていう。洋楽と邦楽の両方をやっていたんですよ。それはそれでいい経験させてもらったというか。それぞれ微妙にメディアが違ったりするじゃないですか。

田家:なるほどね。あの頃のプロモーターとして宣伝もした記憶がある?

近藤:この曲は聞いた途端すごく好きな曲だなと思って。プロデューサー有賀恒夫さんって方で。すごく丁寧な仕事される方で、ユーミンとは深い関係にある方ですし。

田家;歌い方を直した人ですもんね(笑)。

近藤:そうですね(笑)。その方がユーミンに「こういう曲書いて欲しいんだ」っていって彼女が書いたんですけど、この曲は本当にイケるなと思ったんですよ。ぶっちぎりのサクセスにはならなかったですけど、当時スマッシュヒットにはなったと思うんですけどね。

田家:スタンダードになっていますしね。社会人になったっていう感覚はありました? あの頃は社会人になるみたいなことがテーマになっていたんでしょうけど。この曲の歌詞みたいスーツを着て通勤電車乗るようなサラリーマンになるという選択肢は最初からなかったんですか?

近藤:何と、アルファレコードは当時全員スーツ着用だったんですよ。最初の1、2年は僕もスーツを着ていました。『ニューミュージックマガジン』担当だったんですけど、スーツで敬愛してる中村とうようさんに、よろしくお願いしますって頭下げたら、「俺スーツ嫌いなんだよ」って言われちゃって。俺も好きで着ているんじゃないのに、みたいな(笑)。

田家:(笑)。この頃はブレッド&バターはまだ湘南にいたんでしょう? 湘南に打ち合わせに行く時もスーツ着ていくんですか?

近藤:いや、流石にその時は適当に理由つけてスーツ着ないで行きましたね。東京で打ち合わせしてもつまんないから、雑誌社の人たちと一緒に湘南で取材やりましょうって皆で行って、何誌かやった後にビールを飲むっていうのがすごい楽しみでした(笑)。でも徐々にアルファもスーツ主義から逸脱していって、自由になっていったんですよ。

田家:どんな風になっていったか、この後に詳しくお聴きしましょう(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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