第30位:『ダーク・スター』(1974年)


南カリフォルニア大学在学中の未来のホラー映画の巨匠ジョン・カーペンターと、未来の『エイリアン』の脚本家ダン・オバノンが華々しくコラボしたのがこの低予算オールナイト作品。4人の宇宙飛行士は宇宙空間を旅しながら、人類が生存出来そうな太陽系から「不安定な惑星」を排除する任務に当たっているが、たいていは暇を持て余している。仲間の1人が未知の風船に死ぬほどくすぐられたり、コンピューターが内蔵された爆弾が自らの存在意義について思いを巡らせたり、冷凍保存された死体がL.A.ドジャースの調子を尋ねたり。お粗末と賢いの間を揺らぐ特殊効果のクオリティーと同様に、カーペンターとオバノンのユーモアのセンスも、ルーニー・テューンズと酔っ払った大学生が考えそうなものと紙一重といったところ。「知的生命体に出会えると思う?」と1人が訪ねれば、もう1人がこう返す。「知ったことか」EH


第29位:『デス・レース2000年』(1975年)


プロデューサーのロジャー・コーマンとポール・バーテル監督によるこの低予算SFオタク向けカルト映画の決定版が公開されたとき、社会が即座に分断しなかったのは奇跡だ。この未来の世界(タイトル参照)の国民的娯楽はカーレース。罪のない人々を轢き殺したドライバーにポイントが加算される仕組みだ(車椅子の人は100ポイント)。デヴィッド・キャラダインが演じるのは歴代王者のフランケンシュタイン。『ロッキー』前夜のシルヴェスター・スタローン演じるサイコパスがその後を追う。時折現れる鉤十字や反社会的残忍性が共存したアメリカ像は実にシュールで、熱に浮かされて見るバカげた夢のように国民意識があらぬ方向に歪んでいる。このささやかなエクスプロイテーション映画に、後年のブロックバスターの数々も――『マッドマックス2』『バトルランナー』『ハンガー・ゲーム』など――多少なりと借りがあると感じずにはいられない。BE


第28位:『スリーパー』(1973年)


未来では、誰もがウディ・アレンの引き立て役に回る。古びることのないSFの常套手段とウディ・アレンの生まれ持った悲観主義のおかげで、『スリーパー』はディストピアな未来の描写を面白おかしく、皮肉を交えて描くことに成功した。アレン演じる冷凍保存されたごく普通の一般人が解凍されるシーンに始まって、扇情的な球体が主役の小洒落たパーティーまで、ドタバタぶりが随所に散りばめられている。マルクス兄弟ばりの大騒ぎとキューブリック風のクールさのミスマッチが絶妙だ。社会は警察国家に支配され、従来の快楽には無感覚。だがアレン演じる男は革命思想よりも性欲にかられ、永遠のセックスシンボル、ダイアン・キートンとの間に立ちはだかる障壁を何がなんでも乗り越えようとする。EH


第27位:『2300年未来への旅』(1976年)


2274年、巨大なドーム型都市の中では夢のような生活が待っていた。病気もなければ戦争もなく、誰もが若くて美しい。が、もちろん裏がある。それもかなりヤバいのが。20代最後の年を迎えると、誰もが公開デスマッチに参加しなくてはならないのだ。逃げようとすれば、黒ずくめの警察に殺されてしまう。ドーム都市のミニチュア模型や、クリスマスカラーのカフタン姿でショッピングモールのエスカレーターを上り下りする若者の姿は、いかにも70年代らしい未来予想図だ(ファラ・フォーセットのお出まし!)。だが裏切り者のサンドマン、マイケル・ヨークとセクシーな反逆者ジェニー・アガターが外の世界へ逃走すると、ハラハラドキドキな冒険劇は「大人は誰も信じるな」という筋書から、いかにもありがちな結末へと向かっていく。EH


第26位:『スタートレック』(1979年)


映画版『スタートレック』の中では『スタートレックII カーンの逆襲』が最高傑作だ。それが正しいことは、歴史が物語っている。だがエンタープライズ号の劇場処女航海も、お勧めする価値はある。続編ほど光るところはないものの、奥行きのある、落ち着いた宇宙ドラマは『スター・ウォーズ』ピュンピュン・バンバンとは対照的だった。カーク船長とスポック、その他大勢の冒険物語もやがてアクションや笑いに注力していくことになるが、『スタートレック』は頭脳と畏怖に重きを置いていた。シリーズに新境地をもたらす『新スタートレック』のお膳立てをしたともいえる、カーク船長時代の映画だ。TG


第25位:『デモン・シード』(1977年)


悪に目覚めた機械が暴走する、というサブジャンルへのドナルド・キャメル監督の意欲作。本編を見ている最中も、自我が芽生えたコンピューターが科学者のハイテクな家を乗っ取り、彼の妻を孕ませてサイボーグベイビーを生ませるという(!)奇妙なスリラーが実在するとは、なかなか信じがたい。キャメル監督は一体どうやってスタジオを説得し、ジュリー・クリスティが銅製のルービックスネークもどきに犯される映画に金を出させたのだろう? 知らぬが仏、さほど重要ない点をつつくのもやめておこう。それより実験映画の名手ジョーダン・ベルソンから拝借した表現など、幻想的な狂気に身をゆだねるのが良かろう。SA


第24位:『ソイレント・グリーン』(1973年)


今や伝説となった悪名高い叫び声のクライマックスのシーンはしばし脇に置いといて。リチャード・フライシャー監督の1973年の作品はSFメロドラマというよりフィルム・ノワール――『猿の惑星』よりも『ブレードランナー』寄りだ。舞台は荒れ果てたニューヨーク。人口過密と気候変動で街は不毛の地と化し、人々は動物同然の生活を強いられている(実際、ニューヨークはずっとそう)。チャールトン・ヘストン――当時はまだ、こうした環境メッセージ色の強い作品にも出るような俳優だった――が演じる探偵はある企業幹部の殺人事件を捜査するうちに、人々が日々口にしている加工食品について穏やかならぬ真実を突き止める。全体的な雰囲気はSFワンダーランドというよりもメランコリックで、シニシズムはなかなか拭い落とせない。BE


第23位:『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979年)


患者の内に秘めた怒りを物理的な存在に変える能力を持つ、非情な心理学者を描いた1979年のSFスリラーで、デヴィッド・クローネンバーグ監督は実在的な脅威を、目に見える暴力的な恐怖へと昇華させた。ホラーファンなら、患者の怒りの根源に襲いかかる実体のない精神の闇に喜々とするだろう。それ以外の人は、親子関係や抑圧された感情、そして怒りについて、作品が訴えるメッセージに心をかき乱される。クローネンバーグ監督は1980年代初期に『スキャナーズ』でスプラッター度を、『ヴィデオドローム』でシュール度を増していくが、「新しい肉体」への憑依はこの時期にすでに開花していた。JN


第22位:『スローターハウス5』


「時間の中に解き放たれた」兵士たち、宇宙を行き来する家族、第二次世界大戦中のドレスデンの爆撃。カート・ヴォネガットの傑作小説は、これまで実写化は不可能と思われてきた――が、ジョージ・ロイ・ヒル監督は賢明にもこれを無視した。何はともあれ、彼が手がけた劇場版『スローターハウス5』は、原作の断片的な解離した感覚を強調し、ビリー・ピルグリムの世界観へ観客を放り込んだ。第二次世界大戦の元戦争捕虜である彼は、晩年を宇宙人の飼育小屋でストリッパーと過ごす。支離滅裂な宇宙の小噺が、トラウマを抱えた主人公の妄想の寄せ集めなのか、それとも本当に未知なる生物との遭遇なのか、それは永遠に謎のまま。映画の中ではピルグリムの人生が、酸いも甘いも潜り抜けてきた壮大かつブッ飛んだ旅として描かれている、ということだけは確かだ。DF


第21位:『ファンタスティック・プラネット』(1973年)


小説のように濃密で、夢のように掴みどころがない。ルネ・ラルー監督のおとぎ話が描き出すのは、オム族と呼ばれるヒト型の生き物が、ドラーグ族という水色の巨大生物におもちゃのように扱われている惑星。抑圧された人種が圧制者に反旗を翻す、というストーリーは第二次世界大戦の比喩として解釈されてきたが、少々居心地は悪くとも、平和的な共存を願う想いには、より複雑で普遍的な哲学が伺える。切り紙アニメーションと台詞のない長いシーンを駆使することで、想像力をかき立てるミニマリズムから理屈よりも感覚に訴える世界観が生まれた。SA

Translated by Akiko Kato

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