ファウンテインズ・オブ・ウェインのアダム・シュレシンジャーがコロナ感染で死去、その生涯を振り返る

アダム・シュレシンジャーの生い立ちとFOWの歩み

シュレシンジャーは1967年10月31日生まれ。マンハッタンで幼少期を過ごした後、家族とともにニュージャージーへ移る。マサチューセッツのウィリアムズ大学在学中にクリス・コリンウッドと出会い、バンドを結成。ニュージャージーにあるガーデニングショップの店名にちなんで、ファウンテインズ・オブ・ウェインと名付けた。デモテープを制作し、アトランティックレコーズと契約。1996年にリリースしたデビューアルバム『ファウンテインズ・オブ・ウェイン』は批評家からの評判も上々で、オルナタロック調の「ラディエーション・ヴァイヴ」はある程度のヒットを記録する。1999年の次回作『ユートピア・パークウェイ』も批評家らから評価されるが、商業的ヒットには至らず、アトランティックとの契約を打ち切られる。




FOWが次のアルアムをリリースするまでに4年かかったが、2003年の『ウェルカム・インターステイト・マネージャーズ』はバンド最大のヒットアルバムとなった。「ステイシーズ・マム」はカーズやリック・スプリングフィールドを思わせる、永遠のパワーポップ・カルトな1曲で、『アメリカン・パイ』世代の「ミセス・ロビンソン」と呼ばれた。この曲はビルボード・シングルチャートで21位まで上昇。モデルのレイチェル・ハンターが出演し、カーズや80年代のコメディ映画『初体験/リッジモンドハイ』へのオマージュを散りばめたミュージックビデオは、MTVでヘビーローテーションされた。



2003年のMTVとのインタビューでシュレシンジャーはこの曲が生まれるきっかけとなった出来事について語っている。「多分11歳か12歳のころかな、すごく仲のいい友人の1人が来て、僕の祖母がすごくイケてるって言ってきたんだ」と彼は振り返る。「それで僕はこう言ったんだ、『おっと、それ以上深入りするな』って。でもあの頃の僕は、誰かがおばあちゃんに手を出すんじゃないかと本気で思ってたんだ」



FOWはさらに2枚のアルバム――20017年の『Traffic and Weather』、2011年の『Sky Full of Holes』――をリリースし、2013年に解散。FOWでの活動の傍ら、シュレシンジャーは別のバンドIvyでも定期的にレコーディングやツアーを行い、1996年から2011年にかけて6枚のアルバムをリリースした。またスマッシング・パンプキンズのジェームズ・イハ、ハンソンのテイラー・ハンソン、チープ・トリックのバン・E・カルロスと組んで、ティンテッド・ウィンドウズ(Tinted Windows)というスーパーグループを結成。2009年にはセルフタイトル・アルバムをリリースした。

Translated by Akiko Kato

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