ジョン・レノン、ラスト・インタビュー|未公開版完全翻訳

ローリングストーン誌の表紙を飾ったジョン・レノン(Photo by Annie Leibovitz)

1980年12月8日に亡くなるわずか3日前、ジョン・レノンはローリングストーン誌との9時間に及ぶインタビューに臨んだ。

1980年12月5日(金)、ジョン・レノンはローリングストーン誌の編集者ジョナサン・コットとの9時間以上に及ぶインタビューを受けていた。インタビューニューヨークのアッパーウエストサイドにあった彼のアパートメントと、レコード・プラント・スタジオで行われた。それから3日後、レノンはスタジオでのミキシング作業を終えて自宅へ戻ったところで殺害されることとなる。インタビューは当初、1981年第1号のカバーストーリーとして掲載される予定だった。ところがレノンの死を受け、コットは急遽レノンの死亡記事に差し替え、インタビューの内容にはほとんど触れることがなかった。実は、インタビューのテープ起こしも完了していなかったのだ。レノンの死から30年が経ち(※訳注:2010年12月に米ローリングストーン誌が公開)、ここに初めてレノンが生前最後に受けた本格的なインタビューの全文を公表することとなった。楽しげでとても面白く、感動的かつ大胆で、ある意味危ない内容まで語っている。オノ・ヨーコとまだ幼かったショーンとの5年間に渡るプライベートライフを楽しんだ後で、レノンは再びスポットライトの当たる場所へ戻る矢先だった。

「奥の間へようこそ!」と言ってジョン・レノンは、明るく大げさな仕種でダコタ・ハウスの一室へ招き入れてくれた。天井にはオノ・ヨーコの手による美しい雲が描かれている。1980年12月5日。ソファに腰掛けると、隣に座ったヨーコが、2人の共作によるニューアルバム『Double Fantasy』の由来について語り始めた。前年の春、ジョンと息子のショーンはバミューダ諸島で3週間のバケーションを過ごしたが、その間ヨーコはニューヨークに留まり、彼女曰く「仕事を整理」していたという。バミューダからの電話でジョンは、ショーンを植物園に連れて行った時に「ダブル・ファンタジー」という花を見かけたことを彼女に伝えた。「フリージアの仲間だと思うが、2人の人間が同時にひとつのイメージを頭に思い浮かべると、不思議なことが起きるという意味に捉えた」とジョンは後に語っている。

「バミューダで、ある晩ダンスクラブへ出かけてね」とジョンがソファーに腰掛けながら割り込んできた。入れ違いにヨーコはコーヒーを淹れに立ち上がった。「クラブの上の階ではディスコ音楽が流れていたが、下から突然B-52’sの『Rock Lobster』が聴こえてきた。僕は初めて聴いた曲だったが、知っているかい? ヨーコの音楽とそっくりだったんだ。“古いモノは捨てて妻を覚醒させるチャンスだ”と思った」というジョンは、それからヨーコに毎日電話を掛け、お互いが作った曲を相手に歌って聴かせたという。

私は「ここ5、6年は寝室の壁に掛けっぱなしで、最近になってようやく『Double Fantasy』の製作に取り掛かるため手に取ったギターがあると聞きました」とジョンに尋ねた。

「ヨーコとよりを戻して子どもができた頃に買った珍しいエレクトリックギターのことだね。普通のギターと違ってボディーがないんだ。肘掛けというか管やソリのような形で、座っても立っても弾きやすいように長さを調整できる。少し弾いただけでベッド横の壁に掛けっぱなしになっていた。でもその存在が気にはなっていた。まともに弾いたことがなかったからね。一時期を築いたアーティ・ショウが二度とクラリネットを吹かなくなったように、見るのが辛いからといって楽器をしまい込んだりしたくはなかったのさ。だから時々そのギターを眺めながら、“いつかこのギターを手に取る日が来るのだろうか?”と考えていた」とレノンは答えた。

「ギターの隣には9番ウッドや、さらにヨーコにプレゼントされた短剣も掛けてある。南北戦争時代のパン切りナイフで作った短剣で、不吉なものや過去を断ち切るという意味を込めて飾っていた。まるで実際にそこには存在しない1枚の絵のようだった。最近になって “ああ、ついにこのギターの使い道がわかったぞ”と閃いたんだ。そこでギターを壁から降ろして『Double Fantasy』を作り始めたのさ。」

「私は『Double Fantasy』を繰り返し聴き込みました」と次の質問に移ろうとする私を、ジョンが微笑みながら遮った。「もしもし?」とジョン。「この数週間はまるで同窓会のようだ。イーサン・ラッセルが新曲のビデオを何本か撮ってくれたし、アニー・リーボヴィッツもここに来た。最初のローリングストーン誌の表紙は彼女が撮った写真だ。昔馴染みと再会してまた一緒にやれるのは楽しい。みんなまだ生き残っているんだな。僕らが初めて会ったのはいつだっけ?」

「あなたとヨーコに初めて会ったのは1968年9月17日です」と答えながら私は、その後何度も関わることとなった彼らとの最初の出会いを思い出していた。私はたまたま良い時に良い場所にいたラッキーな男だった。その頃ジョンは、ビートルズの一員としての仮面を剥ぎ取り、もっと「表に」出ようと決めていた。1966年11月に出会った2人は、アムステルダムとモントリオールで行う予定だった平和をアピールするためのベッドイン・パフォーマンスの準備を進めると同時に、アルバム『Two Virgins』のリリースも間近に控えていた。同アルバムは、シェイクスピアの「ノイズ、サウンド、スウィート・エア」を実践した2人による初めての実験的な作品だった。そして1周年を迎えるローリングストーン誌では、2人の裸の写真を使った悪名高きアルバムジャケットを掲載する計画が進んでいた。サンフランシスコで創刊されたローリングストーン誌は、当初はまだ貧弱な雑誌だった。そんな雑誌による初の「カミングアウト」インタビューをジョンが承諾したため、「ヨーロッパを拠点とする編集者」として私に白羽の矢が立ち、写真家と共にジョンとヨーコのもとを訪れた。その写真家こそイーサン・ラッセルで、彼は後にアルバム『Let It Be』に封入されたフォトブックの撮影を担当することとなる。興奮と緊張でドキドキしながら、私たちはジョンとヨーコが仮住まいしていたロンドンにある地下のアパートを訪れた。

Translated by Smokva Tokyo

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE