ASKAが語る作詞論 言葉ではなく「フィーリング」を大事にする理由

「39年前に見た空」の意味

―まさに「素晴らしい!」と言わせる楽曲が揃いましたが、国文学者の石原千秋氏が「ASKAさんの歌詞には謎が仕掛けられていて、多様な解釈できるのがおもしろい」と言っている通りの深い内容なので、既に発表していた8曲も含めて、楽曲解説をお願いしたいんです。まずはアルバム1曲目の「憲兵も王様も居ない城」。これは何の比喩なんですか?

ASKA:これはもう、ずっと続いてたんだけど、CHAGE and ASKAっていう屋台骨がハリボテだったような気がしてて。結局そのハリボテの城を死守することを一生懸命やっていた時期が続いていたので、もう十分だなと。そこに労力をずっとかけてきたので、もう俺は先に出るよってことで。それだけの曲です。

―ある意味チャゲアスから旅立ちの歌なんですね。2曲目の「修羅を行く」は<偉そうな言葉にゃ温度がない 戦車な勇気で修羅を行く>という歌詞もあり、今の日本社会のことを歌っているのですか?

ASKA:これは自分のことを歌っています。ただ、歌詞はメロディが呼んだものだという風に受け取ってくれればと思います。なので、歌詞をどういう受け取り方をしてもらってもOKです。この曲に関しては、自分の中ではブルースロックというものを一回やってみたいと思って作りました。この曲のコード進行ってもうブルースの王道でしょ? でもやっぱり僕はポップスなので、サビからいきなりドンっとポップスになるように展開してます。

―結構ブルースも聴くのですか?

ASKA:あんまり聴かないですね。あくまでも僕の中のブルースのイメージの曲だし、いろいろやっていたいですよね。いろいろやってみるのが自分だと思っているので。

―それで言うとM4の「未来の人よ」はポエトリーリーディングから始まります。

ASK:ステージにおいて僕はよく曲の前に語りをやるんです。その語りにすごくお客さんが入り込んでくれるんですね。それはなぜかと言うと、歌詞の場合はメロディがついてるから、言葉を追いながら進むしかない。でも語りの場合は、言葉は途切れないから、どんどん言葉が入っていくんです。で、その語りの後に曲に入ると、その曲の世界感がぐんと広がる。だったらライブだけではなく、曲の中でやってしまおうと思って。で、この曲は語りから始まってるんです。


ASKA(Courtesy of DADA label)

―なるほど。語りの部分と、歌の部分では言葉の温度感が違う感じがします。語り用の詞、歌う用の詞では書き方も違うんですか?

ASKA:いえ。語りの部分で、<39年前に見た空を僕は覚えている>と先に伝えておいて、歌の部分で<この空は>と歌っています。つまり、語りの部分が前フリなんです。

―ちなみに、実際に39年前に空を見上げたことが?

ASKA:ありました。CHAGE and ASKAは1979年のデビュー。ノストラダムスの大予言の時だったかな、世の中どうなってしまうんだろうっていう時代でした。でも東京に住居を構えたある雨上がりの朝、空気がものすごく澄んでいて、本当に綺麗だなって思ったんです。この瞬間のこの景色を、この空気の透明感を絶対覚えておこうと思いました。マンションから出てきた時にすぐ空を見上げて、その空を覚えたんです。

―何かメモをしてたんですか?

ASKA:いや。ただ覚えてましたね。しかも、2回それがあるんです。1度目はそれと、2度目は、「万里の河」のあと何をやってもヒット曲が出なくて……。ライブでは、全国どこに行ってもお客さんは集まってくれてるのにシングルヒットが出ない。自分の中では書き手として苦しかったんです。ヒット曲が出ないのが。その後レコード会社を移籍しました。ちょうどその頃、音楽業界は一変していました。アーティストが作曲において、コンピュータを導入し始めましたからね。前のレコード会社が悪かったということではありません。自分の作曲方法が新しいところにたどり着いたからです。移籍してすぐ「モーニング・ムーン」がトップ10入りしました。その日の朝マンションから出てやっぱり空を見た時に、この瞬間のこの気持ちと空気を覚えておこうっていうのがありました。なので、今までに2回あるんです。空を見上げて忘れないでいようと思ったことが。

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