無意識の差別や偏見「アンコンシャス・バイアス」について考える

この話に違和感を抱いた人もいるかもしれません。そして「あれ? 父親は死んだはずでは?」と思った人もいるでしょう。その場合、「外科医は男性」という思い込みがあります。これは「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」と呼ばれるものです。他にも「若者は頭が柔らかい」とか「女性は細やかな気遣いができる」など、たくさんあります。アンコンシャス・バイアスは誰しもが多かれ少なかれ持ってしまっていますが、本人に自覚がないために問題に気付きにくいという特徴があります。

他に似たようなものに「潜在的カリキュラム」と呼ばれるものがあります。教育困難校における劣等感の染み付いた生徒や、反対に有名進学校のエリート意識の強い生徒というように、ある特定の学校の校風や制度などは、常に明文化されているわけではありませんが、「潜在的な力」によって無意識に教育されていることがあります。

また、たとえば教科書に掲載されている絵が「家事をしているのが女性、消防士が男性」だったとします。すると生徒たちはそうしたところから、無意識に「家事は女性がやるもの」「消防士は男性がなるもの」というように、職業と性別を結びつけてしまう可能性があります。私は保育士資格も所持しているのですが、資格試験の勉強で使っていた参考書にも、この「潜在的カリキュラム」のことは載っていました。ところが、その参考書の挿絵の保育士さんの絵はすべて女性でした。制作者に、保育士=女性という無意識の思い込みがあったのでしょう。このくらい、潜在的カリキュラムはやっかいなものです。他にも、もしある大学の医学部で生理学を必修と定め、倫理学を選択科目と定めるならば、暗黙のうちにその医学部では倫理学よりも生理学を重視しているということを伝えていることにもなります。このように自分たちが無意識化し、刷り込んでいること、または刷り込まれている意識がたくさん存在します。無意識であるが故に、この壁は非常に高いものになります。

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