URC50周年ベストから、それぞれの記憶の中にずっと生きている風街

・遠藤賢司「夜汽車のブルース」


『URC 50th ベスト・青春の遺産』DISC2、5曲目ですね。遠藤賢司さんの「夜汽車のブルース」。トーキングブルース、格好いいでしょ? 今週もアルバムの曲順通りに聴いてもらっていますが、さっきの「旅するおばさん」の次がこれです。おばさんはスタスタテクテク歩いていましたけど、これは夜汽車ですね。遠藤賢司さんは1947年生まれ。学年は岡林信康さんとか北山修さんとか吉田拓郎さんと同じですね。そして活動の拠点が東京でした。明治学院大学。THE ALFEEの先輩です。高田渡さんとか南正人さんたちと東京でアゴラというフォーク団体を作っていた。実は、私のいとこもそこに加わっておりました。女の子でしたけどね。68年の夏に、京都の山崎にお寺がありまして、URCの前身・高石音楽事務所がそこで「フォークキャンプ」というのを始めるんです。ここに東京から高田渡さんとか小室等さんとかが行って、関西フォークの洗礼を受ける。そして高石音楽事務所に所属しました。高石音楽事務所とURCは1969年、70年、71年と岐阜県の中津川市椛の湖というところで行われた「全日本フォークジャンボリー」の主体になっていた組織でもあるんですね。遠藤賢司さんは69、70、71年とフォークジャンボリー全部に参加しているんです。お聴きいただいたのは1970年のアルバム『niyago』の1曲目に入っておりました。格好いい演奏ははっぴいえんどなんですよ。はっぴいえんどの存在感はこういうところにも際立っていますね。遠藤賢司さんがこの曲を書いたときは22歳でした。それではこの「夜汽車のブルース」の次の曲。やはり夜汽車です。

シバ「夜汽車にのって」


『URC 50th ベスト・青春の遺産』DISC2「旅と街」6曲目、シバで「夜汽車にのって」。渋いでしょう。 この渋さが年々染みるようになってきましたね。若いときは、どこか地味だなというのがあったんですけど、この淡々とした素朴な味わいというのは、もうちょっと年齢が経ってからお分かりになるのかもしれません。「旅と街の歌」を選んでいて1番強く感じたのは旅の仕方、旅の形ですよ。旅の方法。50年前と今、明らかに違いますね。1番違うものは何か? 夜汽車ですよ。夜行列車。懐かしい響きでしょ? 窓の外に寝静まった街が遠ざかっていって、はるかかなたに月や星が見えたりする。窓に自分の顔が写ったりするんですね。俺はなんていじけた顔をしているんだと思いながら旅をしていたという、そういう若いときがありました。どこかここではない遠くへ。まず乗るのは夜汽車です。アメリカのフォークシンガーとかブルースの曲の中に必ず出てくる夜汽車。遠くで夜汽車の汽笛が鳴っていると、俺はどこかに旅に出たくなるんだという、そういう設定がよくあります。ジェームス・ディーンが主演した映画『エデンの東』の冒頭、貨物列車の屋根に乗って旅をするんですね。ああいう無銭旅行、ギターを持って旅する人たちのスタイルでした。ホーボーと呼ばれていましたね。あっちこっち行くというわけではないんでしょうが、ウディ・ガスリーというアメリカのフォークシンガーの元祖、ボブ・ディランの先生。その息子さんにアーロ・ガスリーという人がいまして、「ホーボーズ・ララバイ」といういい曲があるんです。これはアメリカで1位になりました。そしてホーボーというのは山崎まさよしさんのアルバムのタイトルにもなっていますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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