JAGATARAのOtoが語る、江戸アケミが残したメッセージとバンドの過去・現在・未来

1982年4月4日、『反核ライブ』に出演した暗黒大陸じゃがたら。当時の白黒写真をColouriseSGでカラー化(Photo by Junichi Uchimoto)


お前たちはお前たちの仲間を作れ

―こういう話をしていると、江戸さんがいかにシリアスに現実社会を捉え、危機意識を強く持ち、未来に向けて予言的な言葉を多く残した凄い芸術家だったかという話になっていくわけですが、でも一方で大らかで明るくて、バカなことをたくさん言ったりやったりしていたひとでもあったわけじゃないですか。28日のイベント(「Jagatara2020 ナンのこっちゃい生サロン~お前たちはお前たちの仲間を作れ」)のトークで、山本政志監督が「アケミは凄い人だったと言われてるけど、オレはあいつのバカなとこいっぱい知ってるから。じゃがたらのバカパートを忘れてほしくないんだよ」とおっしゃってて、僕もダジャレばっか言ってる江戸さんが好きだったのでなんかスッとしたんですよ。昔、渋谷陽一さんの「サウンドストリート」(NHK-FM、82年10月放送)に江戸さんとOtoさんが出たときに、江戸さんが「なんかエラそうなこと言ってるけど、オレ、ほんとはバカなんだよ。それが言いたいね」「バカでなぜ悪い?!」って言っていて。そういう江戸さんを最高だなと思っていたので。

Oto:そうそう、そこはほんとに大事なところで。それがアケミの質感なんだよね。だから僕なんかがこうやって自分の解釈を言いすぎると、なかなか評価されなかったことに対するフラストレーションを言ってるみたいになるけど。それって例えばキリストは普通に思っていることを言ってるだけなのに、弟子たちが妙に崇めてしまってそれをひとに言いふるまうみたいな構造に近くなってくる。アケミはさ、自分はエラそうなこと言いたくないって思っていて、「オレはただのナンのこっちゃいジジイだ」って言うわけよ。そこがやっぱり、いいわけですよ。普通のひとはすぐ権威のあるポジションにいきたがるじゃないですか。アケミはそんなポジションいらないわけで。

―むしろ嫌悪している。

Oto:そう。嫌悪してるから「オレはナンのこっちゃいジジイだ!」って(笑)

―そこがステキなんですよねえ。だから、よくIQ(知能指数)が高い低いって言いますけど、江戸さんはEQ(Emotional Intelligence Quotient)=心の知能指数が高いひとだったんだと思って。あるいはLQ(Love Quotient)、つまり損得勘定ではない愛の指数の高いひとだったんだなと。

Oto:うんうん。LOVE Qね。そうするとなに?  山本で言うとバカQ?  BQ?(笑)

―ははははは。いいですね、BQって(笑)。僕はIQが高いだけのひとよりそっちのほうが好きだし、実際にこれからの社会を動かしていくのはEQ、LQの高いひとだと思っている。音楽シーンを見ていてもそうですけど、ずいぶん前からIQの高いミュージシャンやプロデューサーがロック・ミュージックやポップ・ミュージックを作るようになって、それこそ江戸さんのように「オレ、バカなんだよ。バカでなぜ悪い?!」って言いながら大きな声でバーンと歌えるひとがいなくなってしまった。だから僕はそういうバカ指数と愛の指数を併せ持ったシンガーの登場を渇望しているんですけど。

Oto:バカ指数と愛の指数を併せ持ってるって、いいよね。山本が映画でそこを通していけてるのは、やっぱりかっこいいしね。だから僕もアケミを神格化するのは気持ち悪いと思うし。山本が「Oto、そこだけに走るのはやばいぞ」って言ってくれて、僕も「それはその通りだね。オレはその傾向にいきがちなところがあるから、そう言ってくれてありがとね」って素直に認めたんだけど。ただ、神格化するなというのを安易に考えるのは思考停止することになるから。アケミが探求した歌の深さがあって、僕はそこからのメッセージがいま、あれからますます地球を腐らせてしまった僕らひとりひとりに突きつけられていると思うんだ。なのでその歌の内容をしっかり受けとめたいと思っているんです。


Photo by 西岡浩記

―山本監督とOtoさん、いい関係性ですね。

Oto:うん、そうだね。アケミがいて、こういう僕がいて、一緒にやってきたのが面白いと思っているし、僕自身は山本みたいに言ってくれる友達がいてくれることで自分の個性のバランスをとっていけると思うので、そこはありがたいですね。で、いまはミナミがいるから。毎朝起きたらアケミの写真の前に座って必ず対話してその日を始めるとミナミは言ってて、それをずっとやってきているわけだけど、ミナミにはミナミの個性と魂があって、それはアケミとイコールのわけはない。ミナミがセンターとって歌えば、それはアケミの成分とはやっぱり違うわけだからね。アケミはいまいないんだから、いろんなひととのハーモニー、協調性でいかないと。リーダーを立てて、ひとりが全体をひっぱるっていう考え方は、もうしんどいんじゃないかな。

多様性が尊重される時代だけど、ひとりで多様なんて無理だからね。誰かより誰かのほうが凄いって考え方はもう違う。もうそういうプラットホームじゃなくなった。いまはエクステンションの考え方が面白いと思う。「お互いがそれぞれの拡張である」って考える感じです。自分ができないことを相手がやれることの喜び。そうやって補える関係に豊かさを感じる。その感じがバンドを超えて、じゃがたらの音楽で繋がれるひとたちに広がっていったら面白いと思うんだ。違った暮らし方をしているみんなが、お互いを認め合える関係は豊かだと思う。「意識のコミュニティ」みたいなことかなあ。

だから28日のイベントのタイトルを「お前たちはお前たちの仲間を作れ」って付けたんだけど、この腐りきった日本の社会でタフに生き延びるためには、相互依存の関係、ふたりでひとつの関係、ひとりひとりは別々だけど予め繋がっていることをわかり合っているというのが、必要なフォーメーションじゃないかと思っていて。アケミもあの頃からそういうビジョンを見ていて、だから「じゃがたらなんてどうだっていいんだよ。お前たちはお前たちの仲間を作れ」って言ってたんだと思うんだよね。だからクアトロで最後にミナミが客席に入って、みんなで一緒に歌ったことこそが、今回の僕らのメッセージだし。開演前に自然に「もうがまんできない」の声が立ち上がったのも、そういうことだと思うし。もうステージにあがっているメンバーだけがじゃがたらじゃないっていうのが、Jagatara2020のあり方であり、考え方。でもそもそもアケミがそういう考え方だったんだよね。さっき内本さんが奇しくも言ってくれたように、ライブ中にステージから下に降りてバンドを観てたりするアケミがいて、それは象徴的なことだし、アケミの立ち位置であり視点であり資質だったんだと思う。

―初めからそうだった。

Oto:そう。最初からそういうビジョンだったんだと思います。

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