JAGATARAのOtoが語る、江戸アケミが残したメッセージとバンドの過去・現在・未来

昔よりもいまのほうが、じゃがたらの必要性が顕在化している

―先日のライブの本編最後の曲は「夢の海」でした。無人のマイクスタンドにスポットライトがあたり、そこで響いたのは江戸アケミさんの歌声。3時間半に及んだライブのなかで最も重要かつグッときた場面だった。

Oto:うん。


Photo by 西岡浩記

―あそこに「夢の海」という曲をもってきたのは、“飛び出そう 緑の街へ”“雨があがれば 陽はまた昇る”……つまり希望を伝えたかったからということですよね。

Oto:希望ですね。うん。かすかな希望。僕は、アケミはガイア意識を感じて歌っていたと思っていて。

―というと?

Oto:高橋健太郎さんは(Rolling Stone Japan掲載のコラムで)エコロジーという言葉を使っていたけど、エコロジーという環境学的な意味でアケミが捉えていたことはきっとなくて、僕はアケミが感じていたのはガイア意識だと思っている。自分は人間という生き物なんだって思ったときに、じゃあその人間ってなんだろうって疑問がわいて、そういうことを集中して突き詰めていったときに“ああ、自分は地球そのものなんだ”ってわかって、地球そのものなのにそれを一番汚しているのは人間じゃないかと気づいて。そこからアケミの歌が変わっていった。83年に「BIG DOOR」って曲を作るんだけど、その前にガイア意識の直接的な体験がアケミのなかで起きて、それからアケミはそこで見たビジョンをどんどん歌にしていくようになったと僕は思っている。だけどその重要なアケミのなかのガイア意識について、これまで誰にも指摘されたことがなかったんですよ。




―そういう意識で歌っているひとって、日本にはあまり……。

Oto:いないでしょ?  まあ、祭り系のなかには何人か知ってる人はいるけれど、日本のロックの歴史のなかでは極めて少ない。そういうひとが誰かいますか?っていう。でも世界を見ると、例えばグレイトフル・デッドとかね。健太郎さんも挙げていたけどマーヴィン・ゲイの「Mercy Mercy Me (The Ecology)」とか。あるいはギル・スコット・ヘロンの曲とかにも既にそういう意識が入っていて。それと比較して「日本のロックは……」みたいに言うつもりはないけど、でも地球人としてそういうことを考えながら作品にしていたアケミはやっぱり稀有だと思う。あえてこういう言い方するけど、成熟していたと思うんですよね。キリスト者として洗礼をのちに蹴ったとはいえ、聖なるものを求める気持ちや哲学的な探究心が働いていた。僕は、江戸アケミはそこが際立っていたと思っていて。

27日に会場のクアトロに行くとき、渋谷駅に着いてハチ公前の交差点を渡る際に深く思ったことがあったんですよ。昔「じゃがスタ」での練習が終わってからアケミとナベちゃんと3人でよくそこを通ったりしていたんだけど、27日にあそこに立ってふとあの頃の情景を思い出した。それで思ったのは、「タンゴ」の歌詞で“ゴミの街に埋もれた 食いかけのハンバーグ”ってあるじゃないですか。みんなはそれをどういう思いで聴いていたのかなってことで。まず「ゴミの街に埋もれた」ってことは、地球はゴミだらけってことでしょ。「食いかけのハンバーグ」ってことは、全部食ってないってことでしょ。ハンバーグはファストフードでしょ。この短いフレーズのなかに、人間がここまで地球をゴミだらけにしてしまったということと、生産はするけどちゃんと食べないで捨ててしまう人間がいるということが織り込まれている。で、“あんたの手から落ちて まわり巡って 地面に吸い取られた”と続くんだけど、それは地球にまた戻っていく状態じゃないですか。地面に吸い取られ、溶けてまた自分の身に返ってくるという循環の映像が浮かぶわけで、それがもうタルコフスキーの映画のように美しいんですよ。アケミの言葉のいくつかは、そういうふうにものすごく映像的で。

「都市生活者の夜」のなかに出てくる“オレの言葉も空に舞ってゆっくりと弧をかき始める”というのもそう。パラレルワールドがある。此岸と彼岸、この世とあの世がある。あの曲は僕が同じビートで15分の尺でって決めて、転換の仕方とリズムの進み方をアケミに渡して、そこからアケミが物語を想像して書いてきたんだけど、その能力の高さたるやハンパじゃないんです。ものすごく高い。だけど、そういうメッセージに歩み寄ったじゃがたら評、江戸アケミ評を僕はいままで見たことがなくて。みんなアケミの資質的な部分とかサウンドのこととかにばかり印象がいってしまうみたいで。

―とはいえ、以前に比べたら江戸さんのそういう歌詞や言葉をリアルに受けとめているひとは増えたと思うし、この前のライブに出演された七尾旅人さんや、「アケミさんが亡くなった年に生まれました」と言っていた折坂悠太さん、あの場にはいなかったけどMars89さんとか、バトンを受け取っている若いミュージシャンも増えましたよね。2003年に江戸さんの十三回忌ライブが新宿ロフトであり、2004年にもクラブチッタで「じゃがたら祭り」があって僕も観に行きましたが、あの頃よりいまのほうがそういう若いミュージシャンも増えたし、じゃがたらの必要性が顕在化している。

Oto:うん。僕もそう感じました。30年が過ぎて、初めてそう感じた。それは現実的に原発の事故が起きちゃってるし、救いようのない社会になってしまったからかなあ。アケミが亡くなったのは1990年で、30年が経ったわけだけど、アケミには過去も現在も未来も全部ひっくるめたビジョンが見えていて、それに対して歌を作っていたからいまがフィットしてくるというか。普通のひとは地球とかガイア意識と一体化した経験なんてないから、ただその地点で目に見える社会を見るわけじゃないですか。例えば1990年の地点で目に見える社会からは、福島原発の事故は見えてないわけで。そうすると原発に対する危機感も当然変わってくる。だから当時の普通のひとからしたら、アケミの歌は心配性神経過敏症のひとの歌に聴こえたかもしれない。豊かな暮らしを楽しんでいるときに何を辛気臭いこと言ってんだよ、みたいな感じでね。で、言葉がスルーしていって、入ってこないまま聴かれていたんじゃないかって思うんです。でもいまは全然ストレートに入ってくる。それはここまで日本が嘘だらけの黒塗り国家になって、闇に覆われてしまったからじゃないかとも思うんですよ。

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