JAGATARAのOtoが語る、江戸アケミが残したメッセージとバンドの過去・現在・未来

1982年4月4日、『反核ライブ』に出演した暗黒大陸じゃがたら。当時の白黒写真をColouriseSGでカラー化(Photo by Junichi Uchimoto)


30年経ったいまのほうが、アケミの歌が身に沁みてわかる

―さて、今回Jagatara2020としてまた動き始めたわけですが、そこに至る経緯についてはもう『Rooftop』『MUSIC MAGAZINE』『MUSICA』などでOtoさんが詳しく話されてますし、僕も読んだので、それについては今日は聞きません。それよりもやり終えたばかりのクアトロ公演「虹色のファンファーレ」を振り返りながら、いろいろ聞いていければと。

Oto:うん。

―まずクアトロ公演を観て僕が思ったのは、もちろん初めて観るひともいたでしょうけど、あの場にいた多くはかつてじゃかたらが大好きで、なんらかの形で思いを持ち続けていたひとたちだったんじゃないかと。そして、単に「ライブを観る」というよりは、それぞれが自分自身の思い……じゃがたらへの思いだったり、あれからの30年の自分の暮らしや生き方に対する思いだったりを確認したり肯定したりすることができた、そういうライブだったんじゃないかということで。

Oto:うん。そうですね。開演前に僕らは楽屋でスタンバイしていて、そこから(ステージに)上がっていったら、「もうがまんできない」の合唱が起きていて。

―じゃがたらお春のライブ音源(エド&じゃがたらお春『LIVE1979』)がかかっていて、「もうがまんできない」が流れたときにお客さんみんなが一緒に歌っていた。

Oto:まさかみんなが音源に合わせてああやって歌うなんて思ってもみなくて。完全に想像を超えてました。去年の「TOKYO SOY SOURCE 2019」でライブ中にみんなが一緒に歌っている光景を観たときも感激したんだけど、それがさらにこうなったんだなぁと思った。あれって、お客さんたちの30年間の日々から溢れ出てきた歌声でしょ?  江戸アケミの魂をみんなで迎えていたわけですよね。アケミ降臨状態ですよ(笑)。あの始まりは強烈でしたね。こんなふうに情熱を持って集まったみんなと一緒に、これからゲストを迎えてじゃがたらの曲を聴けるのかと思うと興奮した。ま、僕は演奏しなきゃならないんだけど(笑)。

―始まる前にじゃがたらお春の音源をかけることは決めていたんですか?

Oto:別のアイデアもあったんだけど、やっぱりアケミの30回忌だし、僕が入って以降のじゃがたらはこれからステージで見せるわけだから、その前の原石を聴いてもらおうと思って。初めて「じゃがスタ」で一緒にセッションしたとき、アケミは「こんなことをしようとしてくれるやつがいるのか」って僕のこと面白がってくれたと思うんだよね。で、「じゃあ、Otoにじゃがたらの素材を渡さなきゃね」ってアケミが言って、以前のライブテープとかを何本か貸してくれたんですよ。そのなかにあったもので、じゃがたらお春のあのライブテープは特にインパクトがあったんです。


EBBY(Photo by 西岡浩記)


南流石(Photo by 西岡浩記)

―なるほど。「もうがまんできない」で起きたあの合唱が象徴しているように、お客さんたちはそれぞれの強い思いを抱いて観にきていたと思うんですが、きっとメンバーやスタッフのみなさんも特別な気持ちであの場にいたんでしょうね。それは感じました?

Oto:メンバーにもスタッフにもそれぞれ物語はあるだろうけれど、みんなこの場にいることができてよかったと思っていたと思います。いろいろ切ない話もあったけれどね。でも僕はもっとメンバーみんなの30年間の話も聞きたかった。本当はちゃんとしたメンバー宴会をやろうとも考えていたんだけど、リハーサルに時間をとられてしまってできませんでした。

―時間さえあればメンバーひとりひとりの思いを聞きたかった。

Oto:ですね。アケミが亡くなってからの30年をどういうふうに考えて、ひとりひとりどんなふうにバトンを受け取っていたのかなってことに僕は関心があった。ミナミからはときどき連絡があって、よく話を聞いていたんだけどね。僕も「こんなふうに考えてるんだ」って話してたし。で、EBBYはEBBYでFacebook(のプロフィール)に「Jagatara Ebby」って書いてるくらいだから、そこを引き受けてるんだろうし。だからそれぞれの思いがあるだろうし、僕もそこは知りたいところで。

そんななかで自分はどうなんだって考えると、アケミが生きているときに自分ほど一生懸命アケミに関わっているひとはいないだろうと思ってたんだけど、でも亡くなって、時が過ぎていくなかで、「ああ、全然わかってなかったんだなぁ」って思って。もう少しアケミの言うことを理解できていたら、また違った現実があったのかもしれないなって想像するようになった。そのわからなかった部分に関して、長く一緒にいた人間としてはやっぱり後悔もあるし、わかりたいという気持ちがあるから、そういう思いで日々暮らしていくと、ほつほつほつほつと「あ、あの言葉の意味はこういうことだったのかな」っていうのが降ってくるようになって。それがずっと続いている感じなんですよね。アケミの言葉の解明というか、「あれはこういう意味だったんだな」っていうのが何個も貯まっていって、貯まっていくと嬉しくて。歌にしても「なんてステキな歌なんだろ」って思いがでてきて。

だからアケミが生きていた頃よりも30年経ったいまのほうが、歌の中身が身に沁みてわかる。身に沁みてわかりながらギターが弾けるし、音楽ができる。なので、その思いをただ音にするっていうか。僕自身はいまそんなふうになってるから、今回のライブでも1曲1曲味わい深く演奏できたんですよ。

―それはでも、聴き手も一緒で、あの頃は聴き流していた言葉がビンビン心に響いてきた。それは昨年の「SOY SOURCE」でもそうだったし、今回のライブもそうでした。

Oto:そうなんだぁ。そんな話をじっくりしたいね。来てくれたひとたちとそんな話をする会とかやりたいね(笑)。

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