ANARCHY見出したプロデューサー、RYUZOが語る2010年代「ゲットーのヤツが見てヤラレるものを」

店のプロデュースと「ラップスタア誕生!」

ー2013年にはANARCHYの4thアルバム『DGKA (DIRTY GHETTO KING ANARCHY)』をフリー・ダウンロードでリリースしていますが、この時にはもうすでにエイベックスと契約を交わしていますよね。



RYUZO:俺としては、MUROさんまでやって、あと何ができるんだろう?って思ったんですよね。次の仕掛けとして、また今までのようにアルバムを作って出すの? でもすでにやってるしな、ってなってた時に、ANARCHYがメジャーに行って勝負を賭けてみたいって言うので、そこでエイベックスとの契約になるわけです。

ーあの時、スゴく精力的に動いていましたよね。

RYUZO:でも、実際にはやれないことが多すぎて。俺はニッチやし、インディ野郎なんですよ。例えば、歌詞のワードがどうのとか、サンプリングがどうのとか、MVの撮影許可がどうのとか、知らんやんけみたいな話だから。当時のANARCHYの曲って、サンプリングの哀愁のトラックにあいつの悲しいリリックが乗るもので、それが好きなファンがスゴく多かったと思うんです。それができなくなるのは俺の中では大きくて。また、そこで少しずつトラップが流行ってくるのも見えてきて。そこで俺の年齢的にも、好きなものにも限界が来たのかなと思って、ハッとなったんですよ。「あれ、これ違う、違う。俺、金儲けのためにやってる。流行りを追いかけようとしてる」と思って。これは抜けなあかんと思ったんです。俺はゲットーのヤツが見てヤラレるものを作りたかったんです。俺は女子供に向けて歌ってないし、ヒップホップがわかってるヤツ、ドープなヤツ、ピンピンなヤツにヤバいって言わせたいんですよ。俺は世界中のヤツに影響を与えたいわけじゃないなと思って。みんなからは何故今やめるのか聞かれましたけど、俺はトラップが流行った瞬間に、これは俺が好きやった、ジェイムス・ブラウンがソウルを生んで、ファンクを生んで、それをサンプリングして生まれてきた、ゲットーの心の傷を歌うヒップホップじゃなくなったなと思ったんですよ。あと、KOHHが出てきたタイミングでもありましたね。

ー2016年12月には渋谷にBLOODY ANGLEというバーをオープンさせていますが。

RYUZO:もう抜けようと思ってた時に、レコード・バイヤーのLostFaceが、「俺のレコードでバーをやりましょうよ」って言ってきて。そしたらすべてが変わったんですよ。トラップとかSoundCloudを追えなくなったから、こっちに逃げたというか(笑)。元々自分が好きだったことに戻ろうと思ったんです。

ーそこでお店のプロデュースに目覚めてしまいましたよね。でも、それこそ2018年11月にオープンしたジェントルマンズ・クラブのお店、MADAM WOO TOKYOは100%ヒップホップじゃないですか。

RYUZO:俺らの時代って、NYのクラブは黒人と行っても入れてもらえなかったんですよ。それで黒人のヤツらに連れていかれるところって、ストリップクラブしかなくて(笑)。しかも、ストリップでしか本物のヒップホップは鳴ってない。それで、俺がハワイで結婚した時に、やることがなくて毎日ストリップに行ったんです。インバウンドが来るってわかったし、そう言えばBLOODY ANGLEに来る外人はストリップがないかやたら聞きよるなと思って。ストリップをやったらおもろいんちゃうかなって。自分の結婚式で思い出したんです(笑)。

ー一方で、2017年からはAmebaTVでラッパーのオーディション番組「ラップスタア誕生!」を手がけていますよね。



RYUZO:「フリースタイルダンジョン」を観てると、ヒップホップはもっと深いもんやし、もっとカッコいいもんやし、即興で文句言い合って後から笑ってるだけがヒップホップじゃないって思うんですよ。人生を変えるようなリリックを歌ったり、痛みとか生きるためのヒントを得るもんやと俺は思ってるから。それで酔って藤田社長(サイバーエージェント社長の藤田晋)にすねながら言ったんですよ。「カルチャーを作るから、俺に『イカ天』をやらせてください」って(笑)。今のシーンで活躍してる若手の多くは「ラップスタア誕生!」出身ですよ。WILYWNKA、Leon Fanourakis、Tohji、¥ellow Bucksが世に出るキッカケに少しでもなれて、本当に良かったです。


ANARCHY(左)とRYUZO(Photo by cherry chill will.)


RYUZOが選ぶ、2019年の日本人ベストラッパー

WILYWNKA




舐達麻




Leon Fanourakis




RYUZO
1994年にラッパーとしての活動を開始。MAGMA MC’sのメンバーとして京都を中心に活動。2005年にR-RATED RECORDSを設立。ソロ・デビューを果たし、R-RATED所属のANARCHY他のアーティストのエグゼクティブ・プロデューサーとしても活躍。2010年に『24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN』を監修。2017年からはBLOODY ANGLE、DOMICILE TOKYO、MADAM WOO TOKYO、翠月 -MITSUKI-といった店舗のプロデュースを手がけ、2月にも新しい店舗のオープンを控えている。


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