川谷絵音が語る2010年代「ハイペースに作品を出し続けたら認知されるようになった」

川谷絵音(Photo by Madoka Shibazaki/ロケ地協力:SHARE LOUNGE)

indigo la End、ゲスの極み乙女。、ジェニーハイをはじめ、様々なバンド/プロジェクトに関わり、楽曲提供も多数。ジャンルの概念はもはやなく、それでも「川谷節」としか言いようのないソングライティングの力によって、「個」としての力を見せつけた、まさに2010年代の顔役の一人、川谷絵音。今やコメンテーターとしても引っ張りだこの川谷による、2010年代最後の語録をここに。

indigo la Endのはじまりとゲスの極み乙女。のブレイク

ーまずは無茶振りを承知で聞かせてもらうと、「川谷くんにとっての2010年代はどんな10年でしたか?」と質問されたら、どう答えますか?

川谷:indigo la End(以下、インディゴ)を始めたのがちょうど2010年なので、2010年代はバンドのすべての成長過程を経験した10年だったなって。でも、今でもichikoroでは普通のライブハウスにも出て、ツアーのときはみんなでレンタカーを借りて、機材の搬入・搬出も自分たちでやってたりするから、10年前と変わらず同じようなことをやってもいるんですよね。なので、やってることは増えたけど、根本は変わってなくて、周りが変わったって感じですかね。まあ、今回の特集の中で俺の10年が一番よくわからないんじゃないですか(笑)。みんな一個のことで紆余曲折があると思うんですけど、俺はそうじゃないから。



ーそもそもインディゴを始めた頃はどんな感じだったんですか?

川谷:まだ大学のコピーバンドの延長線上だったんですけど、その頃のライブハウスはポストロックかUKのガレージっぽいバンドに二極化してて、俺はどっちかっていうとポストロックの方に行って。そのままバンドシーンに駆け込んだんですけど、その頃にはポストロックは落ち着いてきて、だんだん4つ打ちに変わって行って、その中にゲスの極み乙女。(以下、ゲス)で入って行って……みたいな感じでしたね。

ーやはりゲスのブレイクが最初のターニングポイントだったと思うんですけど、今振り返って、ブレイクの要因はどこにあったと思いますか?

川谷:安易なフェス仕様みたいなバンドが嫌で……それは今でも変わってないですけど、だからあえて自分たちも4つ打ちにして、使い方の違いを提示したっていうのはあって。ただ最初は売れる気もなかったから、音楽は真面目にやってたけど、歌詞はふざけていたり、だからあの歪な形になったんですよね。キャラを盛り込ませようとしたわけでもなく、勝手にキャラのある4人が集まったってだけだし。意識して作ったバランスではなくて、当時インディゴが上手く行ってなくて、そのストレスを発散したかっただけなんで。2013年にインディゴで「スペースシャワー列伝JAPAN TOUR」に出たときに、他の3バンドはイケイケだったけど、俺たちだけ手が上がんなくて、ああいうのはふざけないとできないなって思ったんですよね。それもあってゲスを始めたんですけど、でも音楽はちゃんとカッコいいものにしたくて、プログレ、ジャズ、ファンクとか、メンバーみんなが持ってるものを合わせて、それが結果的に新しかったのかなって。

ーゲスが出てきたときのインパクトは、異物感も含めてかなり大きかったです。

川谷:SuperflyとかYUKIさんのプロデュースをしてる玉井健二さんがYouTubeで音楽評論をやってて、「川谷絵音以前/以降で変わった」っていう話をしてて。ABサビで全部転調してて、それが一曲になってるとかって、確かに、バンドシーンの中では俺がやり始めたことではあって、だからフェスとかではわりと浮いてたと思うんですよね。それでも、めちゃくちゃキャッチーだったから、フォロワーみたいな人も出てきて、そうやって何かが変わるきっかけになるものは、やっぱり広がるんだなって。で、その後にSuchmosが出てきて、海外っぽいサウンドアプローチであれだけのヒットに持っていったことでまたちょっと変わって、Suchmosのフォロワーも大量に出てきたし、2019年で言うと、King Gnuがまた違う感じでやり始めて……4年おきくらいにあるんでしょうね。

ー中でも、やっぱり「私以外私じゃないの」が出たときはすごく印象的で、音楽的にもう一段階クオリティが上がったと思ったし、タイトルや歌詞にしても、当時はマイナンバーと紐づけられもしたし、今振り返っても、2010年代を象徴するワードである「多様性」についていち早く言及していたようにも受け取れるなって。



川谷:バンドって何をやっても上手く行くゾーンに入るときがあって、ちょうどそういう時期だったというか、「私以外私じゃないの」はコカコーラのCMソングになったり、すべてがハマったなって。でも、その後に「ロマンスがありあまる」「オトナチック」を三部作みたいに出して、あの感じは一回やり切ったというか、ちょっと疲れちゃったんですよね。「明日はこの番組、明日はこの取材、明日はこのイベント」って、思ってたのとは違う感じになっちゃって……2010年から5年経って、疲れちゃったっていう。

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