URC50周年3枚組ベストを5週に渡り全曲紹介、あの頃青春だった人たちの遺産を聴く

50周年を迎えた会員制レコードクラブURC

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自分たちの歌える歌はここにはないということからURCがはじまった加川良

・加川良「大晦日」



加川良さんの1973年のアルバム『やぁ。』の中の曲です。加川さんがこの曲を書いたときは23歳ですね。さっきのはっぴいえんどの「春よ来い」がロックのスタイルの大晦日の歌い方だとしたら、これはフォークの大晦日。これはこじつけかもしれません(笑)。でも明日が見えないっていう意味では、ロックバンドをやっている人たちもこうやって1人で自分の歌を歌っているシンガー・ソングライターもあまり変わりはない。それは今も50年前もそんなに大きな違いはないような気がしています。

加川良さんはURCと切っても切れない関係だった。さっき話した楽曲の権利を扱う音楽出版社というのがありました。アート音楽出版。加川良さんはその社員だったんですね。そして1970年のフォークジャンボリーに飛び入りで参加して「教訓I」を歌っています。「教訓I」もこの51曲の中に当然入っています。当時の世の中の状況、社会の姿というのがURCにはとっても色濃く反映してます。どういうことかと言うと、若い人たちの過ごし方が、その前の世代と明らかに違っていたんです。世の中自体がそうなっていた。今、流行っている歌に俺たちの歌はないよな、自分たちの歌える歌はここにはないということからURCがはじまったんですね。なにが1番の違いかというと、とっても個人的なんです。自分のことを歌っている。自分の歌なんですね。加川さんもそんな自分の歌を歌い続けた人です。もう1曲、72年のアルバム『親愛なるQに捧ぐ』から「下宿屋」です。

・加川良「下宿屋」



「下宿屋」っていう言葉は今どれくらい使われているんでしょうね? 死語になりかけているんじゃないかと思うんですが、下宿とアパートの違いってお分かりになりますか? 日本語と英語とかそういう違いじゃないんですよ。例えば、食事。下宿と言うのは、まかないというのがありまして、ご飯が出てくるんです。つまり、今下宿させてもらっているというのは、どなたかのお宅の家に部屋を借りて、そこでご飯も作ってもらったりするところから始まった。薄汚いカーテンと裸電球とインスタントラーメンっていうのが歌の中に出てくる下宿部屋ですね。これは実際の下宿の話です。京都の高田渡さんの下宿ですね。「うつむきかげんの 彼を見つけたかったんです」と最初に歌っていた「彼」というのは高田渡さんですね。この下宿にいろんな人たちが集まっていた。岡林信康さん、シバ、そういう人たちが集まって、俺たちの音楽はこうじゃないといけないんじゃないかとか、そういう話をしていた。もしあの頃と今の違いの話をするのなら、議論でしょうね。口角泡を飛ばすっていう。今のご時世あまり泡は飛ばしちゃいけませんけどね、マスクをしないといけませんが、若い人たちがそうやって自分たちの明日、自分たちの生き方を議論していた。高田渡さんと加川良さんもそういう議論をしていた。歌の最後に「彼の親父が酔いどれ詩人だったことを知り」とあります。加川良さんは、高田渡さんのお父さんが労働詩人、お金もなくて詩を書き続けた詩人だったということを下宿で知ったんでしょう。そして、次の曲に、この人でなければいけないという人が登場します。高田渡さんで「ゼニがなけりゃ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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