KOHHのクリエイティブ・ディレクター、高橋良が語るプロデュース論

MADAM WOO TOKYOで行われたKOHH『UNTITLED』ツアーのアフター・パーティにて



KOHHがいけると思った瞬間

ーあれが初だったんですか?! スゴいですね。

高橋:そこから、もっと上手く作れるなと自分で思って、映像ディレクターをやるようになりました。

ー2012年3月には新しいアーティストとして、KOHH & MONY HORSEの「We Good」を発表しましたよね。二人との出会いはどのような感じだったんですか?

高橋:これ、けっこういろいろなところで既に話してるのでアレなんですけど、まあいいか。映像制作に熱が入ってきて、当時運営してた音楽スタジオをそろそろたたもうかと思ってたんですね。そしたら、当時17~18歳のKOHHからmixiを通じて連絡が来たんです。「レコーディングしたいっす」みたいな感じで。地元が近かったっていうのもあって、「一回スタジオ来てみる?」って言って。最初はスタジオのお客さんだったんですよ。



ーKOHHがいけると思った瞬間はありました?

高橋:最初の1発目からスゴい才能があるなと思ったわけではないです。ただ音感みたいなものは良かったし、言ったことを飲み込むのはスゴく早かったですね。元々僕は、例えば学校のクラスで一番目立ってるようなヤツがラッパーになるべきだと思ってたんですけど、その点では合格でしたね。しばらくうちでレコーディングしてたんですけど、一度「もうスタジオに来なくていい」って言ったことがあって。ある日、KOHHが当時働いてた運送屋の車で事故っちゃって、車両の修理費を返済をしなくちゃいけなくなったんですよ。10代だし、これ以上スタジオ代を取るのも悪いなと思って、レコーディングするソフトを入れたパソコンを1台組んで、それをKOHHが当時住んでたアパートに設置しました。レコーディングのやり方も教えて、自分的には「これで頑張れよ!」っていう感じだったんですけど、そしたら今度は自分でレコーディングした曲を送ってきまくるようになって。しぶといヤツだなーと思ってたんですけど、ある日「Super Star」っていう曲が送られてきて。それを聴いた時に「あれ?」と思ったんですよね。それで立て続けに、「地元にMONYっていうヤツがいるので、ラップやらせてみました」って送ってきたのが、「We Good」だったんですよね。そこで完全にピンときたので、何日か後にビデオを撮って、YouTubeに乗っけてみようかってなって、その後ミックステープも作ろうってなったんです。僕自身制作に入りたいなと思ったのはその辺りからですね。それがなかったら普通に映像ディレクターになってたと思います。

ーそれも一つ大きなターニングポイントですね。

高橋:まあそうなのかな。でも、それ以降は別のアーティストはやってないんですよ。だからKOHHにも、「俺はやめるつもりだったから、君の目標を叶えるまでは関わるけど、基本的にはおれは映像ディレクターでやっていくから」って言って、スタジオもたたんで、地元に彼の住居兼スタジオを作ったんです。まあ、地元の後輩が頑張ってるから、力を貸したいなっていう感じで。まあ、今もそんな感じですけど。

ーKOHHのプロデューサーとしてはどういうことを考えていました?

高橋:たぶんみなさんが思ってるほどガチガチで作った曲は少ないですね。ほとんど本人が自分でトラックを選んでるし、最初の経緯があるから、自分でレコーディングができるんですよ。録ったものが送られてきて、曲が溜まってきて、そろそろアルバムいけるなと思ったところで、曲を並べてアルバムを作るわけです。僕が「こういう曲をこういうので作ってみて」って言って作ったのは、「JUNJI TAKADA」、「貧乏なんて気にしない」、「結局地元」、「Die Young」とかぐらいですかね。アルバムの中にシングル的な要素が足りなかったりする場合に、一緒にスタジオに入って1~2曲作るみたいな感じで制作には関わってました。

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