YouTubeが変えたドラァグカルチャー

Photos in illustration by Jordan Strauss/January Images/Shutterstock; Taylor Jewell/Invision/AP/Shutterstock

ストリーミングサイトYouTubeの15周年を祝う特集シリーズ『YouTube at 15』。今回はYouTubeがドラァグパフォーマーに及ぼした影響について見ていこう。

インターネットによってドラァグは消滅した。根底から覆された。メインストリームに乗った。あるいは全く新しい存在に生まれ変わった。様々な仮説が立てられるが、恐らくどれも正しい。YouTubeが登場する以前、ドラァグの居場所は夜の世界だった。元々は19世紀に生まれた芸術形態/サブカルチャーだが、現在我々が知る近代ドラァグはニューヨークのゲイクラブで50年以上の年月をかけて形成され、レディー・バニーやフローティラ・デバージ、リンダ・シンプソン、ケヴィン・アヴィエンスといったスターを輩出した。「イースト・ヴィレッジのドラァグシーンやピラミッド・クラブ、ウィッグストックは、あの時代を彩ったパイオニアたちの功績を通して、我々のカルチャーに大きな足跡を残しました」と言うのはクリス・ムカルベル氏。1984年以来毎年行われているドラァグの祭典の軌跡を綴った2019年のHBOのドキュメンタリー『Wig』の監督だ。

1993年には、ドラァグはワシントン・ポスト紙の紙面に取り上げられるまでになった。ル・ポールが「全米人気No.1のドラァグクイーン」として紹介されたのだ(ただし、この手のタイトル争いは激戦でもなかった)。2009年には『ル・ポールのドラァグ・レース』が徐々に世間に浸透していった。「ついに! 我らがゲイのためのスポーツが誕生!」 “アメリカズ・ネクスト・ドラァグ・スーパースター”の称号をかけてドラァグクイーンがしのぎを削る姿を観戦するという社会現象について、ガーディアン紙のアメリア・エイブラハム記者はこう書いた。2020年にはカウンターカルチャーはメインストリーム化し、ドラァグクイーンは政界に出馬して、パリのディオールのショーの最前線に座り、ペプシの広告でカーディ・Bと肩を並べるようになった(煌びやかな衣装に身を包んだル・ポールがヴァニティ・フェア誌の表紙を飾ったのは言わずもがな)。

「メインストリームになんてなりっこない、型にはまるのとは丸切り正反対だもの」と、ル・ポールは2016年、オンラインマガジンVultureのE・アレックス・ジュン記者に語っている。だがお嬢さん方、周りをご覧なさい。『ドラァグ・レース』が扉をこじ開けたことは否めないが、その扉を大きく開けたままにしたのはYouTubeのようなソーシャルメディア・プラットフォームなのだ。そしてこれにより人知れず誕生したのが、時に“bedroom queen[訳注:プライベートだけで女装を楽しむドラァグ]”と呼ばれるような新手のドラァグクイーンだ。

Translated by Akiko Kato

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