LITTLEが「春よ、来い」に載せてラップする亡き父への想い

―このタイミングで、LITTLEさんが八王子に戻られて、ご実家の近くに住まわれたというのは、どういう理由があったんでしょう?

今まで本当に好きにやらせてもらってきた部分があって。もともとよく地元に帰るタイプではあったので、コミュニケーションをとっている中で、親との関係も少しずつ変わってきたというか。孝行しやすい気持ちになってきた。今までは照れくさいからあまり孝行できなかったけど、照れくさいのを我慢したら喜んでくれるのかなと思えたタイミングだったんです。

―そう決められて帰ってから約3ヶ月でお父さんが亡くなられて、LITTLEさんはどんな心境だったんでしょう。

喪失感というか、こんなにも影響するものかと思いました。自分はわりと母親に懐いていたと思うんですけど、自分が歳をとればとるほどシンパシーを感じるのは父親だったりするんです。家庭の中の1人というより、独立している感じがするし、こういう時こう思っていたのかなと思ったり、自分の中にも同じ父親と同じような部分を見つけることが多くなっていって。月並みですけど、元気なうちにいろいろやっておけばよかったと思いますね。

―仕事に遅刻したことがなく、祭りが好きで最後まで近所の神社で神輿を担いでいらっしゃったそうですね。LITTLEさんから見て、どんな方でしたか?

本当に真面目で、子想いで、最後まで遅刻したことのない人でした。神輿を担ぐ人たちには仲の良い人も多いので、去年の夏には親の代わりじゃないけどちょっと自分も参加して。喪中だから担げはしなかったんですけど、知らないおじさんやいろいろな人から声をかけられて、父親が「応援して、自慢してたぞ」って話を聞いたりして。遺品の整理していたときも、自分のステッカーを貼ってある遺品を見つけて、そこまで言葉は交わさなかったけど応援してくれてたんだなっていうのはすごく感じました。すごくシャイな人だったので。

―父親と息子って照れ臭さというか、絶妙な関係性がありますよね。

そう。やっぱり子どもは子どもみたいで、いつまでも可愛く思ってくれていたんだなって。亡くなる前もスマホの使い方が分からなかったときがあったので、見せてもらっていじっていたら、自分のサイトがブックマークしてあって。それに気づかれて、父親は恥ずかしい顔をしていましたけどね(笑)。

―面と向かって言わないけど、チェックはしていたんですね。

だからこそ、この曲を作ったら喜んでくれるんじゃないかという気持ちだったんです。この春まで元気だったら、タイトルも内容も違うけど聴かせられたかなとは思っていて。

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