屈指の存在感と歌唱力の持ち主、桑名正博をプロデューサー寺本幸司が語る

キャロルとのおもしろい出会い

田家:寺本さんが選ばれた、まずはこの曲から始めます。ファニー・カンパニーのデビュー曲1972年9月発売「スウィート・ホーム大阪」。作詞がベースの横井康和さんで、作曲が桑名正博さんですね。

寺本:始めに『ファニー・カンパニー』という名前でアルバムを作ったんですね。アルバムから世に出すのが好きなので、その中でいい曲をシングル盤にするという考え方で、それは浅川マキもりりィも一緒です。そういう中で突然これができてきた。事実上、ファニー・カンパニーの1番始めに目に見えてできた曲なんですよ。横井も同志社で京都生まれ育ちなので、原点がすべてここにある気がしますね。桑名のヴォーカルの勢いがすごいでしょ? それまで日本語をこんなふうに歌える歌い手を知らなかった。「浅川マキもグングンいって、りりィも売れてきているのに、寺本さん血迷っているのか?」って言われんだけど、これもやりたいと思ったのでファニー・カンパニーと組むことにしました。¡

田家:「東のキャロル、西のファニー・カンパニー」っていうキャッチフレーズはどこから出てきたんですか?

寺本:向こうはというとへんだけど、キャロルはリーゼントにバイクに革ジャンじゃないですか? こっちは桑名興業の御曹司だし、ベースの横井は横井厨房って鋳物の会社の社長息子だし、キーボードの古宇田優は宝石屋の息子だし、栄は有名な栄総合病院の次男なんですよ。みんなぼんぼんなので、要するにぼんぼんロッカーと呼ばれましたよ。

田家:(笑)。

寺本:当時、ロックンロール振興会を作るようになり、渋谷の野音でやったりしてキャロルと一緒にやったりする。向こうはスバル360で4人で来るけど、こっちは真っ赤なポルシェですよ(笑)。でも、僕は、肝心なのはアウトローがロックをやるっていうのがいいわけじゃなくて、自分の中の魂がどれだけアウトローの物差しを持っているかが大事で、個々がそういうエネルギーをロックに変えていくっていうのが基本。僕は初めからロックバンドを作るつもりでいたし、桑名というロックヴォーカリストとしては世界に挑戦してもいいなと思うくらいの気持ちでデビューさせたんだけど、キャロルの勢いがすごくて。東のキャロル、西のファニカンなんて言いましたけど、大阪なんかでは、やっぱりファニカンだよってエネルギーを感じましたし、そういう意味じゃキャロルとはおもしろい出会いになりましたね。

田家:デビューはファニー・カンパニーのほうが早かったです。「スウィート・ホーム大阪」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE