片乳ポロリがYouTubeを生んだ? 2004年のニップルゲート事件が世界を変えた

Photo in illustration by Donald Miralle/Getty Images

ストリーミングサイトYouTubeの15周年を祝う特集シリーズ『YouTube at 15』。想像もつかないだろうが、メイクのチュートリアル動画や陰謀論の解説、オンデマンドのミュージックビデオなど――「バズる」動画など存在しない時代があったのだ。現代カルチャーと切っても切れない存在となった今、YouTubeが世界をいかに変えたのか改めて振り返ってみよう。

皆さん、ニップルゲート事件はご存じだろう。ジャネット・ジャクソンとジャスティン・ティンバーレイクによる2004年のスーパーボウル・ハーフタイムショー。衣装の不具合でジャネットの片乳がポロリ。全米が騒然しブッシュ政権は怒り心頭。ミス・ジャネットは連邦通信委員会(FCC)から社会良識の脅威と袋叩きにされ、それまでの不動のキャリアは一夜にして水泡に帰した。MTVがプロデュースしたポップの祭典は、いろいろな意味で世界を変えた。だが、最大の変化はほとんど世に知られていないのではないだろうか。YouTubeはここから生まれたのだ。

ショーから約1年が経過した頃、シリコンバレーではPayPalの3人のIT仲間が夕食を囲みながら、ジャネット・ジャクソンの片乳ポロリ事件について話していた。チャド・ハーリー(29歳)、スティーヴ・チェン(28歳)、ジョード・カリム(25歳)は、あの事件の動画がインターネットでなかなか見つからないことをぼやいていた。2004年2月当時、「バズる」動画というものはまだ存在していなかった――ポロリ事件のような間違いなく話題になるような瞬間も、「見逃したらそれっきり」という状態だった。どんな人の会話、ブログ、AOLインスタントメッセンジャーでのやり取りも、全てジャネットとジャスティンの話で持ち切りだったのに、スーパーボウルのTV中継を見逃し、かつティーボやVCRで録画の準備もしていなければ、編集されたニュース映像以外にことの顛末を目にするチャンスは全くなかった。

2006年にカリムがUSA Today紙に語ったように、3人はスーパーボウルの騒動や、当時発生した恐ろしいインド洋の津波の動画をネット上で共有できたら、と考えた。「素晴らしいアイデアだと思いました」とカリム。1年後、3人はYouTubeを立ち上げた。だが最初は見向きもされなかった。2005年4月23日にカリムが投稿した動画第1号は、サンディエゴ動物園のゾウを見に行くという19秒の動画だった。その1年後、文字通り地球上の誰もがYouTubeの虜になった。

Translated by Akiko Kato

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE