片乳ポロリがYouTubeを生んだ? 2004年のニップルゲート事件が世界を変えた

人気爆発のきっかけ

得てしてシリコンバレー伝説では、取るに足らない些細なきっかけから文化的大ヒットが生まれるものだ。映画『ソーシャル・ネットワーク』の中でティンバーレイク演じるNapsterのショーン・パーカーは、Facebookのマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)に向かって、良いアイデアと「一生に一度のクソ最高なアイデア」の違いについて講釈を垂れる。スタンフォードでMBAを取得した男がVictoria’s Secretを立ち上げたものの、金の生る木だと気づかず、破格の安値で会社を売却した、という残念な話を聞かせる。ジャスティンはニヤリと笑い、「可哀そうに、あいつはただ奥さんにストッキングを買ってやりたかっただけなのにな」。 同じように、YouTubeの起源も些細なものだった。ジャスティンがジャネットのビスチェを剥がすところを見たかっただけなのだ。



YouTubeは然るべきタイミングで世に現れた。ソーシャルメディアは2004年2月に誕生したばかり――人々はFriendsterに群がり(困ったときの助け舟!)、それに続いてMySpaceが現れ、Facebookもスーパーボウルの3日後にお目見えした。それでも、YouTubeの人気に火が付くには数カ月かかった――多くの人々にとって、それは2005年12月のことだった。『サタデー・ナイト・ライブ』で「Lazy Sunday」が放映され、口コミで話題が広がったのだ。筆者が初めてYouTubeを知ったのも「Lazy Sunday」の放映後だった。



映画『オズの魔法使い』とテクニカラー、ピンク・フロイドの『Dark Side of the Moon』とステレオ音源、デュラン・デュランとMTVのように、「Lazy Sunday」とYouTubeは一心同体だった。「Lazy Sunday」は、この壮大な新しいカルチャーの記憶装置の世界へ我らを導く究極のゲートウェイドラッグだった。筆者の知人はみな、あのネタでYouTubeを知った。日曜日はひたすらiMacブルーベリーで驚異の新サイトを探索して過ごした。スティーヴィー・ワンダーの隠れた名曲をプリンスが演奏したときの秘蔵映像は? コートニー・ラブとキム・ゴードンが出演した『120 Minutes』は? 『Battle of the Network Stars』でのロバート・コンラッド対ゲイブ・カプラン因縁の対決は? 『Lace』のフィービー・ケイツの名ゼリフ、「ところであなたたちの中で、私の母親は誰?」は? こんなことあっていいのだろうか?

時を同じくして、SNLの動画削除というNBCとの長い闘いが始まった。YouTubeもご丁寧に、こんな文言をブログに掲載した。「この動画がYouTubeで大人気なことは我々も承知しておりますが、YouTubeは著作権所有者の権利を尊重いたします。SNLの『Lazy Sunday』の動画は、NBCのサイトでも無料でご覧いただけます」 ただし、Macユーザーを除いて――NBCのウェブサイトは当時、Windowsにしか対応していなかった。動画はiTunesでも1ドル99で購入できたが、誰も買ってまで見るつもりはなく、動画が削除される度に別の誰かがアップロードしていた。

Translated by Akiko Kato

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