漂泊の詩人、下田逸郎の魅力をプロデューサー寺本幸司が語る

下田逸郎が捨てたものは何なのか?

田家:当時下田さんがやられていたコンサートが「さしむかいコンサート」。小さいところで差し向かいでひっそりとやるっていうのが彼の独特のスタイルでした。

寺本:例え100人ぐらいでも見れない人がいるとちょっと嫌だなっていう濃密な空気が出来上がりますよね。そういう意味では、松山千春とは違う閉ざされた世界の中の何か、響き合いというものを好きでやってましたね。

田家:1975年と言えば、吉田拓郎さんとかぐや姫の6万人コンサートがあったり、大規模コンサートっていうのが日本でもできるようになってきて。皆そこを目指そうという時に、下田さんが「さしむかいコンサート」をやるっていうのが、我が道を行く、微動だにしないスタイルだった感じがしました。皆がやらないからやるっていう程度の表面的じゃない歌の届き方を求めていたんでしょうね。

寺本:最近もそうなんですけど「それだよ下田!」っていう会話をしたことがありますね(笑)。

田家:続いて6曲目ですね、「ひとひら」。1992年の下田逸郎さんのアルバム『ひとひら』の収録曲です。

・下田逸郎「ひとひら」


寺本:彼はずっと俳人が句を作るように歌を作っている部分はあるんですけど。その中でも、彼の中から自然に出てきて、尚且つ人の心を打つ代表曲ですね。彼の考え方の芯というのが「ひとひら」にはあると思います。

田家:このアルバムはインディーズレーベルのライス・レコードというところから出ておりまして。ギター・ベースで大村憲司さん、パーカッションで斎藤ノヴさんが参加してます。ホームページでこのアルバムについて下田さんがコメントしてるんですが、六本木のクラブで斎藤ノヴと大村憲司と飲んでいてことから始まりました。斎藤ノヴはシモンサイ、大村憲司は山下久美子のアルバムでの作詞で知り合ったと。そういう人と一緒に作ったアルバム。これは福岡でレコーディングしているんですね。当時、下田さんは九州の五島列島に住んでませんでしたか。

寺本:五島列島にも住んでおりましたし、福岡にもおりましたし。居心地良かったんじゃないでしょうか。元々彼は宮崎県出身ですから、血はそこに流れているというのもあるんじゃないでしょうか。

田家:北海道に住んでいたこともありますよね。俳人と仰っていましたけど、種田山頭火みたいなものかと思ったことがありました。それはどこから始まったんでしょう? 『遺言歌~誰にも知られずに消えるしかないさ』のアルバムジャケットを見ていたら、いろいろな方への遺言が全部最後は「それではお元気で、さようなら」で終わっているんですよ。やっぱり何か捨てたのかなって。

寺本:そうですねえ……。でも捨てたものっていうのは、どこかにきちんと捨てないと。そうしないと拾うものも見つからないでしょう。そこには女も含まれるんでしょうけど。やはり大事なことなんでしょうね。やっぱり捨てるからこそ拾うものもある。

田家:単身旅をしながら歌に出会うという生き方になっているんでしょうか。下田さんのホームページのタイトルも「ひとひらコネクション」。私信のような通信があってそれのタイトルも「ひとひら通信」というもので。ひとひらっていうのが重要な言葉なんでしょうね。この曲を聴いていて先ほどの「花・雪・風」と同じ何か、花鳥風月的な何かがあると思って聴いておりましたね。

寺本:なんというか日本人の持ってる侘び寂びとかじゃなくて、そこのもっと奥にある魂の美意識みたいなものが凝縮されていると思うんですよね。もちろん斎藤ノヴと大村憲司も相当いいけど(笑)。やっぱり生まれてくる魂のグルーヴを捕まえるのはやっぱり下田が上手いですね。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE