漂泊の詩人、下田逸郎の魅力をプロデューサー寺本幸司が語る

石川セリのイメージは「八月の濡れた砂」

田家:今流れてるのは1976年のシングル、石川セリさんで「SEXY」。寺本さんが選んだ5曲目です。石川セリさんのアルバム『ときどき私は・・・』に入っておりました。

寺本:石川セリは「八月の濡れた砂」というイメージが僕の根底にあったので、この歌を歌ってほしいっていう風になったんですけど、この「SEXY」っていう曲は下田が歌うよりも、こういう女の子が歌ったほうが、なんか誤解されない良い曲になるっていうか(笑)。

田家:誤解されない良い曲(笑)。このニュアンスはなかなか微妙なところがありますね・

寺本:そういう風に思いましたね。で、この曲は結構セールスした曲で。

田家:いい曲でしたもんね。

寺本:この曲が石川セリさんの色を作ったということは言えるかもしれませんね。

田家:はい。これを下田さんがお作りになったときに、寺本さんと会話をされたりしたような記録はありますか?

寺本:下田が歌っている場面ていうのはもちろん知ってますし、1976年のアルバム『さりげない夜』に入っていますもんね。これ、誰かに歌わそうよって会話をした覚えはありますね。

田家;じゃあ石川セリさんに歌わないかっていったのは願ってもないような話だった?

寺本:いや、それは「ジュン&ケイ」っていう音楽出版にアソウシズコっていう女がいまして、まあ彼女がずっとセリのことをやってたりしたもんで。

寺本:「あの曲どうだい?」「ああ、ぜったいセリに良いと思う」「セリ歌うかなー」みたいなところがありながら、進んだ曲です

田家:さっき踊り子のところでですね、松山千春さんとの違いを端的に仰っていましたけど、なんていうんでしょう。下田さんのラブソングのひそやかさ、閉ざされている中で二人っきりでいるみたいなそういうシチュエーションていうのは、他の人にはあまりなかったですもんね。

寺本:そう思いますね。「ラブホテル」っていう曲があるんですけど、まさにラブホテルですからね(笑)。閉ざされた世界の二人が見つめ合うと同時に、背中を向け合うみたいなこともあったりして、そこは逃げられない、逃げたくないみたいなね、すごい世界を作りますよね

田家:はい、「このまま死のう」っていうセリフがあったりして。あれが下田さんが持ってる恋愛観という。

寺本:恋愛観という風に言えばそうなんですが、やっぱ男と女の極限の繋がり合い。繋がったことによって何かが生まれ、そしてそのつながりの何かが切れたことによって何に変わるかみたいなことはね、やっぱり突き詰めて描いてますよね。だからこの歌を聴く女の人は、どこかで必ず自分のどこかの部分に触れていくっていう強い、なんて言うのかなあ。まあ突き刺さる場合もあれば、撫でていく場合もあるっていう風な、一種の頭の中にある感触ですかね。それを表現するのは、下田はすごい作家だと思いますよ。

田家:そういうのをきれいに巧みに柔らかく、少し淫らに優しく引き出していくという。

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