世界は多様だという事実が尊重されるべき、公民権運動から始まるダイバーシティの源流

ダイバーシティの源流は、1950年代から本格化するアメリカ合衆国の公民権運動(1964年公民権法成立)に遡ることが出来ます。ごく簡単に言うと、公民権運動によって白人とアフリカ系アメリカ人(黒人)の平等が認められるようになることで、男女、LGBTQなども含めた、その他の様々な不平等も見直されるようになり、ダイバーシティの重要性が注目されるようになったのです。そしてその公民権運動と音楽はとても深い関わりがあります。

1863年、南北戦争の最中にリンカーン大統領は黒人奴隷の解放を宣言します。ちなみに、この戦争のときの北軍の軍歌『リパブリック讃歌』は、日本でも様々な替え歌になって広まっています。この曲名を聴いてもどんな曲が頭に思い浮かばないという方も、『ごんべさんの赤ちゃん』やヨドバシカメラのCMソングなどと聞けば「ああ、あのメロディか」とわかるのではないでしょうか。このように、歴史が私たちの身近で意外なところに、時には音楽とともにその痕跡を残していることがあります。

南北戦争後、アフリカ系アメリカ人が公民権、投票権、議会で働ける権利、公職につける権利などが実現します。しかし、それを受け容れられない南部の白人たちを中心とした抵抗により、合衆国憲法を無効にしてしまう差別的な法や規則がつくられはじめます。「ジム・クロウ法」と呼ばれる州法がそれにあたります。その「ジム・クロウ」という名は、白人がアフリカ系アメリカ人に扮して歌う差別的なコメディ『ミンストレル・ショー』でのヒット曲「Jump Jim Crow」に由来します。1932年には、ビリー・ホリディが歌う「奇妙な果実」がヒットしますが、その歌詞はアフリカ系アメリカ人が白人のリンチによって殺害された事件を暗喩したものでした。



1950年代にはエルヴィス・プレスリーが登場します。アフリカ系アメリカ人の音楽であったロックン・ロールを、白人である彼がかつての『ミンストレル・ショー』とは違って、アフリカ系アメリカ人の音楽に対しての多大なリスペクトとともに「黒人のように」歌ったのです。それはアメリカ社会に衝撃を与え、彼は保守的な層から多大な反発を受けましたが大変な人気を獲得します。

ボブ・ディランには公民権運動に関わる曲がいくつかあります。アフリカ系アメリカ人の少年が白人に惨殺されたエメット・ティル殺人事件に関して歌った「The Death of Emmett Till」や、アフリカ系アメリカ人の大学入学を巡って内戦のような騒ぎとなった「オックスフォードの戦い」を取り上げた「Oxford Town」、そして有名な「Blow In The Wind」は公民権運動について歌われたものでした。希代のソウル・シンガーであったサム・クックはこの曲に刺激されて「A Change Is Gonna Come」を書いたと言われています。

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