音楽ファンが『ハイ・フィデリティ』に共感する理由

人の好みは自撮り写真などよりもずっと雄弁に、その人物のことを物語る。

しかし私は、自分が音楽に十分に関心を払っていない、あるいは敬意を表していないのではないかと感じ始めた。私は再びレコードを収集するようになり、その多くはコンテンポラリーなアーティストだった。レコードを聴く時、人は腰を据えて20分間じっくりと耳を傾けることが求められ、10秒ごとに曲をスキップするわけにはいかない。自分が何者かを気づかせてくれるような本を、今でも多数所持しているという人は少なくないだろう。音楽にも同じことが言えるはずだ。私たちはみな、この世界に自分だけの居場所を発見し、殻を脱ぎ捨て、自分が確かに存在していることを実感したいと願っている。人の好みは自撮り写真などよりもずっと雄弁に、その人物のことを物語る。1995年当時、自分が書いている物語が未来を映し出していることも、人々がそこに自分自身の姿を見出すことも、私には知る由もなかった。

また私は作品に対する反響を実感している段階になっても、『ハイ・フィデリティ』がTVシリーズ化されることになるとは思っていなかった。90年代に原作の映画化権を売却した際に、私はTV番組化の権利も同時に譲渡していた。しかし2018年末、ゾーイの友人の友人から連絡があり、彼女が私に相談したいことがあるらしいと聞かされた。彼女の父親がロックスターであること、母親があの作品の映画に出演していたこと、そして母娘が揃ってが一糸まとわぬ姿でローリングストーン誌の表紙を飾っていること。私にはそのすべてがひどく滑稽に思えた。誰かが自分を騙そうとしているのではないかと思えたほどだ。

しかし彼女の主人公としての適正、そしてカルチャーに対する理解の深さについて、私が抱いていた懸念は払拭された。彼女と直に話して安心したというのもあるが、それ以上に大きかったのが、彼女が私に送ってきたプレイリストの中身だった。アリス・コルトレーン、ティエラ・ワック、ウィリアム・オニーバー、シャギー・オーティス、ベティー・デイヴィス、サン・ラ、ザ・クラッシュ、スピリット、MC5、ダロンド等、その選曲は多様そのものだった。ゾーイは紛れもない映画スターだが、彼女の音楽に対する情熱は本物だ。私は彼女が素晴らしい演技をしてくれると確信し、それはこうして証明された。

原作を振り返るたびに、私は物語に漂うメランコリーに気付かされる。それはこのTVシリーズにも反映されていて、ゾーイが演じるロブは哀愁を漂わせている。外界に対する盾である彼女の音楽への情熱は、自分を脅威から守ってくれるものではない。彼女たちの世代が抱えている不安は、私たちが経験したものよりもずっと大きいに違いない。

原作を読んで気に入ってくれた人、あるいは映画版を楽しんでくれた人ならば、本シリーズに失望させられることは決してないだろう。本作のことを、私は心から誇りに思っている。登場人物の性別が逆転していることや、人種やセクシュアリティの多様性に配慮している点などを「良識人ぶっている」という斜に構えた見方をする人には、私は面と向かって、なだめるように口ぶりでこう伝えたい。『ハイ・フィデリティ』はあなたに似た誰かの物語であると同時に、あなたとは違う誰かの物語でもあるのだと。

Translated by Masaaki Yoshida

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