女性シンガー・ソングライターの先駆者、りりィの軌跡をプロデューサー寺本幸司が語る

バイ・バイ・セッション・バンド結成秘話

田家:続いてお聴きいただいているのは「オーロイラ」です。かなり先ほどとは世界観が違っていますね。1976年に発売のアルバム『オーロイラ』のタイトル曲で作曲が坂本龍一さんです。

寺本:りりィの中でセルフプロデュース的な感じが出てきた曲なんです。実験的な曲ではあったんですけど、このアルバムによってりりィの世界がまた一つ広がったなっていうのと、単純に僕が好きなアルバムです。

田家:彼女のバックバンド、バイ・バイ・セッション・バンドは一次と二次に大きく分けられるんでしょうが、第一次で名前が出てくるのが木田高介さん、ギターの土屋昌巳さん、ベースの吉田建さん、キーボードの西哲也さん、パーカッションの斎藤ノヴさん。その後に坂本龍一さん、国吉良一さん、井上鑑さん、今剛さん、伊藤銀次さん、上原’ユカリ’裕さんなど。こういった人達をどうやってお集めになったんでしょう?

寺本:僕としては一緒に生きていく家族を作りたいと思って作ったのがバイ・バイ・セッション・バンドで。

田家:第一次は木田さんが中心だった?

寺本:あれはわりと短い期間だった。あとで国吉が入りましてね。木田が別の仕事もあったし、木田がどちらかというと自分のイメージでまとめていきたい方ですけど、僕のイメージするバイ・バイ・セッション・バンドはもっと個々が自由で、ヘッドアレンジもしてっていう感じにしたかった。もう基礎は作ったから後は国吉に任せるよってことになって。

田家:一応リーダー格はいた?

寺本:大体キーボードがリーダーになりますよね。

田家:その中でも龍一さんは皆の中の1人ってポジションでした?

寺本:皆の中の1人ってポジションを作りたがる人なんですけど、それに収まる器ではないじゃないですか。だから色っていうのは自然と出て来ていたという感じですかね。俺はこうしたっいていう感じじゃないけど、一旦入ると色が強いから、特に吉田建と坂本龍一の出してくる色は強かったですね(笑)。かなり違いますしね、お互い。

田家:そういうミュージシャンセッションでいうと、バイ・バイ・セッション・バンドの顔ぶれは多彩ですよね。それは寺本さんが意図したものですか?

寺本:意図はしましたけど、すごく面白い展開になりましたね。

・りりィ「オーロイラ」

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