女性シンガー・ソングライターの先駆者、りりィの軌跡をプロデューサー寺本幸司が語る

映画『非行少女ヨーコ』からインスパイアされた曲「私の映画」

田家:寺本さんとりりィの出会いの曲、「愛」でした。続いて、寺本さんが選ばれたのは「私の映画」。この歌もアルバム『たまねぎ』に収録されております。

寺本:この歌は僕の1番思い込みの深い歌ですね。先ほども話したように、母親と東京に出て来て。東映児童劇団っていうところにりりィは所属するんですね。そこで映画だとかドラマのオーディションを受けさせたんですが、ほとんどセリフもないような端役ばかりだったようで。たった一本だけ出た映画では、良い家柄のお嬢さん役を演じて、そこで働く女の子に嫌がらせをする役なんですって。その話を聞いたときに、僕が「それ歌にならないかな?」ってもちかけて、ある意味で彼女に作らせた曲です。

田家:その映画っていうのが『非行少女ヨーコ』。

寺本:そうです。緑魔子主演。だからでも僕もりりィもその映画を未だに見てないんですよ。そんな大きなシーンじゃないらしいんですけど。

田家:このアルバム『たまねぎ』は自叙伝みたいなものであると思ったのですが、さっきの「愛」が18歳の時に書いた曲で、「8月だけのカレンダー」っていうのが15歳の時に書いた歌。「羽のはえた雲」が16歳の時に書いた歌。やはりデビューする前から何曲かあったんですか?

寺本:あったんですけど「愛」ほど完成度が高くなかった。自分でワンコーラスだけ作っていて、詩も完成してなくて。僕と組むようになってから引き出して自分で形にしたんですよ。発想自体は15歳の時からあったんですけどね。

田家:それをアルバムの中に入れた方がいいっていうのはプロデューサーの話し合いで決まっていくんですもんね。でも1972年の作品ですからね、そういう意味ではシンガーソングライターとしてかなり早い存在だったんですね。それでは改めてお聴きください、りりィのデビューアルバムから『たまねぎ』から「私の映画」。このアルバムタイトルは本人がつけてるんでしょうか?

寺本:色々なアイデアがあったんですけど、りりィが「わたしが一番好きな涙ってたまねぎ切ってる時なんですよね」って言っていて。そりゃもう『たまねぎ』しかないなって思いました。

田家:なんでたまねぎを切ってるときの涙が好きだったんでしょうね?

寺本:昔からいっぱい泣いてきた子だと思うけど、たまねぎを切ってるときの涙っていうのは昔の涙とは全く違う理由でそれがいいなと思うんですよね。

田家:悲しくて泣いてるわけじゃないですもんね。悲しくて泣いたことはたくさんあるけど、たまねぎを切っているっていう理由もあるし生活感もあって、自分だけのものだっていう。

寺本:そこはこの子は流石だなあと思いました。客観的に何か寄り添っている感じがしましたね。

・りりィ「私の映画」


RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE