女性シンガー・ソングライターの先駆者、りりィの軌跡をプロデューサー寺本幸司が語る

「愛」がりりィと僕とを繋いだ

田家:続いて流れているのは1972年発売のデビューアルバム『たまねぎ』の一曲目「愛」。

寺本:この曲がりりィと僕を繋いだと思っていて。りりィが18歳になった頃にできた曲なんですね。僕が彼女と出会ったのは19歳の終わりなんですが、16歳の頃に彼女の母親が亡くなってるんです。彼女の母親は米兵相手の高級バーをやっておりまして。朝鮮戦争が始まる頃に米空軍将校と恋愛をして、そこで生まれたのがりりィなんですね。父は戦争に行ったっきり戻ってくることはなく、そのままりりィは成長していくんですが、あの頃は朝鮮戦争の影響で景気も良くなり日本が元気になっていき、過去の悲惨なことは忘れたいという時期で。りりィは石をぶつけられるようないじめを受けるわけです。それを見かねた母親が、中学に入る頃に店を畳んで東京に出て来ます。東京では居酒屋で働いたりしながらりりィを学校に行かせるのですが、そこでもやっはりいじめられてしまうんですね。母親は何とかしてりりィを芸能の道に進ませたいなと思うのですが、りりィが16歳の頃に母親も亡くなってしまうんですね。その後りりィは天涯孤独の身になり、フーテンと言われる生活をしている時期にできた曲なんですよ。僕がびっくりしたのはですね、「空もひとり 海もひとり」って歌詞があって、でもその後に「私もひとり」とある。空と海と自分を並べるのかって驚いたんですよ。

・りりィ「愛」


田家:なるほどね。

寺本:さらに、空は雲と 海は波と戯れ遊んでいるのに 私の周り人は誰もいないっていう感じでさ、こんな歌を書けるなんてすごいなと思って。この歌を聴いた瞬間、俺と契約しないかって彼女に話をしました。"ジュン&ケイ"っていう当時僕がいた音楽出版会社で、彼女に多少のお金を渡して歌を作らせるっていう関係になる大元がこの歌なんですよね。

田家:これを聴かなかったら、彼女のプロデューサーになるということもなかったと。

寺本:そう思いますね。

田家:彼女のデビューアルバム『たまねぎ』の1曲目だっていうのも、ここから始まっていたっていうことなんでしょうね。りりィは当時、新宿の路上やスナックで歌を歌っていたという話を伺いました。

寺本:彼女がスナックで歌っているのは見たことないですね。ただ僕が彼女を目の前で座らせて歌ってもらったのが、「愛」と「イエスタディ」だったんですよ。「イエスタディ」は当時色々な人が歌うバージョンがあったんですけど、初めてで痺れるくらいのいい曲だったんです。で、その後に「君が作った曲ないの?」って言ったら、こっちの目も見ずに「一曲だけあります」って言うから聴いてみたら「愛」だったんですよ。で、「本当にあんたが作ったの? だったらあんたと仕事したい」って話したんですね。だから前段は「イエスタディ」なんです。

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