ビリー・ジョーが語る、人生を形作ったグリーン・デイの15曲

ビリー・ジョー・アームストロング、ニューヨークのWebster Hallにて。2016年10月8日撮影(Photo by Ryan Pfluger/The New York Times/Redux)


1.「409 イン・ユア・コーヒーメーカー」
『Slappy EP』(1990年)

Bob Berg/Getty Images


当時、俺は高校を中退したばかりで、とにかく途方に暮れてた。世界に置いてけぼりにされた夢遊病者のような気分で、自分の進むべき道がまったく見えなかった。でも俺がソングライターとして最も素直になれるのは、そんなふうに途方に暮れてる時だと思う。沈んだ気持ちをエネルギーに昇華させようとするんだ。「俺の願い、それはこの鎖を引きちぎること/未来に向かおうとする俺を縛り付けるこの鎖を」それまでに書いた曲は未熟さをテーマにしてたのに対して、この曲では俺の別の一面を表現できたと思った。この曲をライブでやり始めた時、オーディエンスの反応がすごく良かったのを覚えてる。特に地元のパンクスたちの間でね。その時点で既にアルバムとEPを1枚ずつ出してたけど、俺はこの曲でソングライターとしてのリズムを身につけたと思う。俺が18歳の時だよ。




2.「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」
『カープランク』(1992年)

Anthony Pidgeon/Redferns/Getty Images

グリーン・デイとして初めてツアーに出た時、ミネアポリスで開かれたとあるハウスパーティーで、俺は妻のAdrienneと出会ったんだ。レコードが売り切れてたから、彼女と連絡先を交換したんだ。それ以来俺たちはちょっとした文通友達みたいになって、そのうちに長電話するようになった。おかげで電話代がかさんだよ。

しばらくして、グリーン・デイがミニツアーに出ることになった。カリフォルニアからミネソタまで、何時間もかけて車で向かった。4公演くらいだったと思うんだけど、ウィスコンシンやミネソタでライブするためにそこまでやるなんて理解できないって言われたよ。俺はただ彼女に会いに行きたかったんだ。その帰りの車の中で、「2000 ライト・イヤーズ・アウェイ」を書いた。ごく自然と生まれてきたんだ。アコギの弾き方りバージョンをカセットに録音して、それを彼女に送った。好きな人のために書いた曲を聴かせるのって、死ぬほど勇気がいるんだよ。「うわ! このストーカー!」なんて言われたら悲劇だからさ。幸いなことに、それ以来この曲はずっとライブの定番になってる。俺は30年の間に彼女についての曲を山ほど書いてきたけど、これがその始まりさ。




3.「ウェルカム・トゥ・パラダイス」
『カープランク』(1992年)『ドゥーキー』(1994年)

Ken Schles/The LIFE Images Collection/Getty Images

当時俺はウエスト・オークランドの郊外にあった家を出て、仲間のパンクスや友達がたくさん住んでるちょっとヤバい地域にある、ネズミに占拠された倉庫みたいなところに引っ越したばかりだった。一番の理由は、月に50ドルっていう破格の家賃だった。ライブで月に200〜300ドルくらいは稼いでたから、家賃を払ってもTop Ramenを食ったり、クサを買ったりする余裕はあったんだ。

すごく新鮮な経験だったよ。オークランドで一番ヤバい地域に、独りで住んでたわけだからね。通りは荒れてて、近隣一帯が朽ち果てたような家が立ち並ぶゲットーだった。そんなところで一人暮らしだぜ? 常にビクビクしてて、「ここから抜け出すにはどうすればいいか?」ってことばかり考えてた。でも住めば都ってやつで、気づけば快適にさえ感じるようになってた。ジャンキーやらホームレスやら喧嘩に明け暮れるギャングやらに囲まれてると、ちょっとした連帯感が芽生え始めるんだ。「駅の構内で銃声が鳴り響く/キレたどこかの浮浪児が死んで置き去りにされる」あれは当時の俺の日常のそのもので、歌ってることは全部事実なんだ。ライブではいつもすごく盛り上がる曲だね。当時は自覚してなかったけど、あの曲のブリッジの部分はその後の俺たちの方向性を示唆してたと思う。


Translated by Masaaki Yoshida

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