マデオンに訊く、若くして成功したEDMプロデューサーの「その先の人生」

2020年1月、マイナビ赤坂BLITZで来日公演を行ったマデオン(Photo by Masanori Naruse)

今年1月に来日公演を行ったマデオンにインタビュー。大胆な変化を遂げた2ndアルバム『Good Faith』の背景に隠された、人生のアップダウンと未来への展望を語る。

2010年代を振り返るうえでEDMは避けて通れないだろう。世界中のオーディエンスを興奮させながら、フェスやヒットチャートを席巻してきたこのシーンでは、多くのDJ/プロデューサーたちが20代前後の若さで成功を勝ち取っている。

しかし当たり前の話だが、人生はその先のほうが長い。「アーティストとしての人生が大きくなりすぎて、人間としての人生がほんの少しになってしまった」というのは2018年に亡くなったアヴィーチーの言葉だが、若さゆえのテンションで走り抜けた結果、彼のように自分の生き方を見失ってもおかしくはないだろう。熱狂のピークタイムが過ぎたあと、それぞれが2020年代以降どんなキャリアを築いていくのかは気になるところだ。

そういう意味で、マデオンことユーゴー・ピエール・ルクレールが昨年リリースした2ndアルバム『Good Faith』は興味深い内容だった。全米ダンス/エレクトロニック・アルバム・チャートで1位を獲得しているが、彼の歌声が全編でフィーチャーされているほか、聖歌隊が参加しているのもあり、ダンスというよりは「歌」、例えばボン・イヴェールあたりに通じる美しさをもった作品で、これまでのサウンドとは明らかに一線を画したものだ。ステージ演出も見事だったマイナビ赤坂BLITZでの来日公演でも、マデオンは祈るように力強くファルセットを歌い上げていた。その光景は25歳になった彼が、「成熟」のあり方を示しているようにも映った。

1994年生まれのマデオンは、2010年に11歳で地元フランスのリミックス・コンテストにて優勝し、早熟の天才児としてシーンに名を馳せてきた。インターネット文化とともに育った彼は、アメリカのEDMカルチャーに距離を感じつつもアジャストし、レディー・ガガやコールドプレイとも制作を行い、盟友ポーター・ロビンソンとも共演しながら独自のポジションを確立している。2010年代のダンス・ミュージックにおける、ある側面を象徴する人物といっても過言ではない。彼と一緒に2010年代を振り返りつつ、新境地の背景に迫った。




Photo by Masanori Naruse

昔に比べて、見た目の雰囲気がだいぶ変わりましたよね?

マデオン:そうだね(笑)。

―何か思うところでもあったんですか?

マデオン:ようやくヒゲを生やせる年齢になったということかな(笑)。僕は17歳の頃からツアーを回るようになったんだけど、当時は実年齢よりさらに若く見られがちだった。でも数年経って……そうだね。自分のライブでは(背後のスクリーンに)シルエットが映し出されることが多い。(『Good Faith』のジャケットを指差し)これと一緒で、そのシルエットを見るだけでマデオンだと認識してもらえるようにしたかった。それが主な理由かな。

―2012年のSONICMANIAで初来日したのは18歳のときでしたね。作曲活動は11歳からスタートしたそうですけど、その頃を振り返ってみてもらえますか?

マデオン:昔は「探検」してるみたいだった。言葉を話せない国で迷子になったような感じで、音楽をどうやって作ればいいのか、時間をかけながら手探りで習得していったんだ。それが楽しかった。僕には先生もいなかったし、学校にも通っていない。自分独自のスタイルを獲得するためには、そういうやり方がベストだと思っている。それと、自分の古い音源をこまめにアーカイヴしていて、たまに聴き返すようにしている。初期の音源を改めて聴くと、あの頃の僕は無邪気(innocence)だったなーと感慨深くなったりするよ。

―「無邪気」というのがどんな意味か、もう少し掘り下げると?

マデオン:間違ってる部分もあるし、音選びもトラディショナルな手法から外れていたり、今の自分から見ると荒削りでプロの仕事とは言いがたい。でも、そういう子供っぽい実験が、僕のアイデンティティを育んでくれたと思うし、現在の制作活動にも影響を与えている。それに、あの頃の曲作りをもう一度やろうとしても、今の僕は知識や反射神経を身につけてしまったから、同じように再現することはできないだろうね。

歌詞についても同様で、ティーンエイジャーだった頃は人生経験も積んでないし、同じテーマを扱うにしても、あの頃と同じような見解を持つことは今の僕にはできない。歌声についてもそうだろうしね。おそらく20年後、今作ってる音楽を聞き直してみたら同じように思うんじゃないかな。


「Pop Culture」ではダフト・パンクやジャスティスから、ELOにザ・フーまで39曲をマッシュアップ。現在、YouTubeでの再生回数は5200万回を突破。

―あなたの名前を一躍有名にした2011年の「Pop Culture」も、若い当時だったからこそ作れたんですかね?

マデオン:あれは若さ云々というよりも、一度きりしかできないことだったと思う。あの時点で、僕はすでに何年も音楽活動をしていた。そして、新鮮なアイディアを思いついて興奮していたんだ。一度作って世に出したら、あのときのワクワク感はもう味わえないよね。

―今になって振り返ったとき、「Pop Culture」が生まれたのは、当時の時代背景もリンクしていたと思いますか?

マデオン:どうだろう。あれは2011年当時、自分のフォルダに集めていた曲を使っている。だから、特に時代性は関係なくて、それよりは僕のパーソナルな趣味を反映したものだと思う。ただ、あの頃はエレクトロニック・ミュージックの影響力が大きくなり、世界的に注目されるようになった時期だった。それで、あそこまで反応してもらえたのはあるかもしれない。どうやって音楽を作っているのか、視覚的に伝わりやすかったのも大きかっただろうしね。

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