浅川マキ没後10年 魂の歌に寄り添い続けたプロデューサーの告白

浅川マキのCD(1st Album 裏ジャケ)を手にした田家秀樹(左)、寺本幸司(右)

音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組『J-POP LEGEND FORUM』。

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2020年2月の特集は、浅川マキを始め、数多くのアーティストを世に送り出したプロデューサー「寺本幸司」。寺本がプロデュースしたアーティストを一カ月に渡り語っていく。パート1となる今週は、1969年にメジャーデビューし、ジャズやブルースを下地にして、誰にも歌えない魂の歌を歌い続けた孤高の女性、浅川マキについて語る。

田家秀樹(以下、田家):こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、浅川マキさん「こんな風に過ぎて行くのなら」。作詞作曲が浅川マキさん、1973年発売のアルバム『裏窓』からお聴きいただいています。今月のメインテーマはこの曲です。

・浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら」


「J-POP LEGEND FORUM」はJ-POPの歴史の中の様々な伝説を改めて紐解いていこうという60分。伝説のアーティスト、伝説のアルバム、伝説のライブ、伝説のムーブメント。1つのテーマ、1人のアーティストを一カ月にわたって特集しようという最近のラジオの中では贅沢な時間の使い方をしております。当時をご存知の方には懐かしく、ご存知ない方たちには発見に満ちている。そんな時間、そんな場所になればと思っております。

今月2020年2月の特集は、寺本幸司。浅川マキさんを始め、数多くのアーティストを世に送り出したプロデューサー。まだプロデューサーという言葉がない時代から活躍されている草分け、先駆け、そして、プロダクション経営者、小説も絵もお書きになっている人物であります。

今月は彼に、ご自分がプロデュースしたアーティストを語っていただこうという一カ月です。今週はそのパート1。1969年にメジャーデビューし、ジャズやブルースを下地にして、誰にも歌えない魂の歌を歌い続けた孤高の女性、浅川マキさん。2010年1月17日に亡くなられ、今年が十周忌。先月から、寺本さんプロデュースで様々な追悼展が企画されております。こんばんは。

寺本幸司(以下、寺本):こんばんは。

田家:よろしくお願いいたします。浅川マキさんは石川県美川町、現白山市、美川町の出身です。

寺本:生れは金沢なんですね。お父さんが5歳で亡くなったときに、母親の里の美川町に移ったという経緯があって。基本的には金沢の人なんですよね。

田家:金沢では、先月から喫茶店やバー、ライブハウスなど色んな音楽にまつわる場所で、マキさんの写真展をやっております。

寺本:マキがデビューした時から付き合ってもらっていた田村仁というカメラマンが居て。その写真を、未発表のものが多いのですが、マキがよく行きつけた場所に飾ってもらっております。

田家:命日には、寺本さんも行かれて映画の上映会とトークイベントをおやりになった。

寺本:「もっきりや」でやりました。

田家:僕もその後、中島みゆきさんのツアーで金沢に行った時にもっきりやに寄ってきました。

寺本:浅川マキの3年前にイギリスから出たロンドン版のジャケットを大きくして飾ってもらいました。

田家:そうだったんですね。「もっきりや」には中島みゆきさんのバックバンドのベース富倉安生さんと一緒に行ったのですが、このアルバム『裏窓』に富倉さんは参加していました。なかなかすごい巡り合わせだと思います。今日は、寺本さんに思い出の曲を選んでいただいたのですが、この曲はもちろん入っておりまして、この曲ができた場面に立ち会ったと。

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