米国の人種間分断、ハーフタイムショーでラテン系歌姫が出演した理由

スペイン語圏のポップミュージックシーンからの移行方法をもっとも良く理解しているのはシャキーラだ。今年のハーフタイムショー当日、コロンビア出身のシンガーは戦略的に自身のファン層である英語圏音楽リスナーのためにヒット曲を次々と披露した。ライブは2009年のディスコナンバー「シー・ウルフ」で幕を開け、続く2014年のロックナンバー「エンパイア」ではクリスタルをちりばめたギブソンのファイアーバードを輝かせながら見事なギタープレイを見せつけた。さらにライブは、オーケストラとともにレッド・ツェッペリンの「カシミール」のカバーへと続き、本名シャキーラ・メバラク・リッポールであるシンガーは、ロープを操りながら、1998年の中東ラテンハウスヒット「Ojos Asi」を父方のレバノンのルーツを堂々と掲げるように歌い、ベリーダンスまで披露した(会場のどこかのボックス席でメディア王ルパート・マードックの心拍数が急上昇していたことだろう)。

シャキーラのきらびやかなダンスは、2001年の「Whenever, Wherever」のレゲトンリミックバージョンによってストップ。1万3000個ものスワロフスキークリスタルをまとったプエルトリコ出身のシンガー、バッド・バニーが自身のバイリンガルヒット「I Like It」を披露するため、ステージに登場したのだ(オリジナルバージョンと異なり、カーディ・BとJ・バルヴィンは不在)。バッド・バニーとシャキーラはスペイン語の大ヒット「Chantaje」のサルサリミックスバージョンを続けて披露し、バッド・バニーが自身のシングル「Callaíta」のフレーズを挟んだ。

2005年のスーパーヒット「ヒップス・ドント・ライ〜オシリは嘘をつかない」で数多くのオーディエンスを魅了すると、シャキーラは観客席にダイブし、再び90年代に戻ってアルバム『¿Dónde Están los Ladrones?』のお馴染みの楽曲をオーディエンスに支えられながら悠々と歌った。ステージに戻ったシャキーラは、ザグルータ(インターネットミームが爆発的に増加中)というアラブふうの感情表現で喜びを爆発させ、アフロ・コロンビアン系ダンスグループとサルサのダンスカンパニー、スウィング・ラティーノとともにパフォーマンスを終えた。唯一の黒人パフォーマーとして、彼らは米国のオーディエンスにチャンペタやマパレといったコロンビア沿岸部の数多くの伝統的な民族舞踊のルーツがアフリカであることを教えてくれた。

ここからは「ジェニー・フロム・ザ・ブロック」だ。現代版キング・コングのような摩天楼から姿を変えたストリップダンスのポールの上で、惜しくもオスカーを逃した映画『ハスラーズ』へのオマージュのようにジェニファー・ロペスが登場した。ブラックレザーのジャンプスーツに身を包んだロペスは「エイント・イット・ファニー」、「ゲット・ライト」、「Waiting For Tonight」といったいまも人気のメガヒットを肌色のボンデージギアを着てセクシーに踊るダンサーとともに連発。ハーフタイムショーをボイコットしたものの、会場の最上階の座席では『ハスラーズ』の共演者でもあるカーディ・Bがロペスの参加を支持するように「私がお金持ちになったからって騙されないで/だって私はいまもブロックのカーディ……ニューヨークのブロンクス生まれなんだから!」と一緒に歌っていた。

続いてはにかむようにセンターステージに登場したJ・バルヴィンは、ロペスのシングル「Booty」と「El Anillo」を織り交ぜながらメジャー・レイザープロデュースの「Que Calor」に歌った。その後、バルヴィンは初めて1位を獲得したヒット曲「Mi Gente」を熱唱。オリジナルバージョンのようにウィリー・ウィリアムとビヨンセがいたら、もっと華やかなパフォーマンスになったことだろう。それでも、ロペスは2001年のアンセム的シングル「ラヴ・ドント・コスト・ア・シング」と「On the Floor」でオーディエンスをさらなる熱狂に導く(ピットブルもいるよね? と気づいた人のために言っておこう。キューバ系アメリカ人のMCは、試合前のパフォーマンスに参加していたのだ)。

チルドレンズ・ヴォイス・コーラスをバックに、ロペスと元夫マーク・アンソニーの11歳の愛娘エメ・マルベリ・ムニスの巧みなパフォーマンスによってロペスの1999年のサルサナンバー「Let’s Get Loud」が続いて披露された。一見、おりのようなデザインのセット——観る人をぞっとさせる効果はあった——で歌う子供たちの姿は、いまもおりに閉じ込められた状態で暮らす、多くの亡命希望者を象徴しているのだ。「あなたの人生を生きたいなら/無駄にしないように精一杯生きて」とエメは歌う。エメのそばでシャキーラは見事なドラムプレイを披露していた。

Translated by Shoko Natori

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