早すぎた死、コービー・ブライアントがやり残したこと

もっと視野を広げて考えてみよう。ブライアントは、キャリア最大の汚点ともいうべきエピソードに対して明確な贖罪を求めただろうか? 2003年、当時ブライアントが滞在していたコロラド州のホテル従業員(19歳)が信ぴょう性のある具体的な供述とともにブライアントをレイプで告発した。ブライアントは不貞を認めたものの、裁判で罪を認めることはなかった。訴訟が取り下げられたあと、ブライアントは告訴人の名が長引く訴訟のせいで辱められたのを理由に直筆の謝罪の手紙と示談によってこの件に終止符を打った。ブライアントが亡くなった日曜から彼への賛辞が湧き出でるなか、性暴力生存者の多くが複雑な気持ちを抱いた理由はそこにある(故人を偲んで偉大さを認めるだけでなく、同時に他者の痛みにも理解を示すことも可能だ)。

甘い考えだと思われるかもしれないが、反対意見が出たとき——とりわけトレイボン・マーティン君射殺事件に対する当初の冷淡な態度を改めたときのように——ブライアントが社会問題に対する考えを改める寛大さを見せて発言さえしていれば、違っていたかもしれない。2011年にブライアントは審判に同性愛差別の暴言を吐いたことを「クールじゃないし、俺が無知だった」と認め、同時にファンにも大人な対応を見せるよう呼びかけた。近年においては、トランプ大統領との政治をめぐる意見の食い違いも公にしていた。周囲からのプレッシャーによって性暴力防止のためによりダイレクトなアクションを取る、あるいはこうしたアクションを自ら進んで実行した可能性はあったのだろうか? 答えがイエスだとしたら、そのアクションはどのようなもので、人々はどのような印象を持っただろう?

こうした疑問に対する答えは決して得られないし、ブライアントの生涯も未完に終わるだろう。多くの人は、ブライアントが今後どのような人物になるかを自分の目で見たいと心から望んでいた。今後、ブライアントの死は主として妻と娘たちから奪われた夫と父の悲劇であり続ける。我々にいたっては、史上最高の選手のひとりであるブライアントがスター選手へと成長したのと同じ力をコートの外で発揮するのを目撃する機会を失った。

ある意味、ブライアントの未完の生涯はジアナさんとともに永遠に続くはずだった。だが、ブライアントの第二の人生では、父親が生涯をかけたバスケットボールを深く愛した幼い娘の死という残酷な仕打ちが待ち受けていた。伝えるところによると、ジアナさんはバスケットボールの名門Uconnことコネチカット大学でプレイし、やがては女子プロバスケットボールリーグ(WNBA)の選手になることを切望していたという(ブライアントがダイアナ・トーラジやエレーナ・デレ・ダンなどのWNBA選手は男子リーグでも通用すると発言し、女子リーグを支持するようになった背景には、娘の成長があったのだろう)。

先日、ブライアントは仲間であるNBAの元選手でいまはポッドキャスターとして活躍しているマット・バーンズとスティーブン・ジャクソンに毎晩ジアナさんがテレビでバスケットボールの試合を観戦し、永久欠番セレモニー後もステイプルズ・センターに復帰してプレイするよう説得していた、と語った。ブライアントは、ジアナさんの目線に立ち、違う見方でゲームを見守っていたようだ。



2018年にブライアントは司会者&コメディアンのジミー・キンメルにブライアント家の名を背負い続けるジアナさんの決意について語っていた。「家族で外出するとき、隣にジアナがいて、ファンが俺に『なあ、男の子を産まないとダメだ! (妻のヴァネッサさん)に男の子を産んでもらえよ! あんたのレガシーと伝統を継がせるために』みたいなことを言われるたびにジアナが『私が引き継ぐから男の子なんかいらないわ! 私がやるのよ!』と答えるときが本当に最高なんだ」

すべては失われてしまったーーーー。

いま、そしてこれから先はバスケットボール界におけるブライアントの偉大さをタイムカプセルに保存するようにさまざまな言葉や想いがあふれてくるはずだ。5度のNBA制覇というタイトル、永久欠番の“8”と“24”、1試合81得点という記録、2つのオリンピック金メダル、MPVを獲得した2008年シーズンといった功績も称えられるだろう。コートでの偉大さを証明するブライアントの功績とキャリアは、人がスポーツを愛する限り伝説であり続ける。

ブライアントのようなスターは、唯一無二のモチベーションと知性を備えていた。ブライアントとジアナさんの早すぎる死が我々に与える残酷すぎる打撃のせいで、無残にも未完に終わったものばかりに目がいってしまう。知っての通り、彼らはプロとして功績を残したが、その人となりについてはまだまだ知るべきところがあった。

我々は、犠牲者9名がどのような人物だったかを知る機会を失ってしまった。そのなかでもっとも有名だったのがブライアントで、おそらくもっともポテンシャルがあったのはジアナさん。わかっているのはそれだけだ。

太陽が昇らないロサンゼルスの日曜、彼らがやり残したことに思いを馳せてもいいのではないだろうか。

Translated by Shoko Natori

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