『私は「うつ依存症」の女』著者、エリザベス・ワーツェル氏の一生

自分らしさを貫き通したワーツェル氏

ワーツェル氏は、自分が過去のトラウマの燃えカスからキャリアを築いていった事実を正直に認めていた。「私はもっと前に死んでいたかもしれないし、何もできないままだったかもしれない。でも、私は自分の感情からキャリアを築いた」と、彼女は2013年のエッセイに書いている。だが明白な才能と、精神疾患の名誉回復の先駆けだったにもかかわらず、晩年のワーツェル氏はおしなべて、Thought Catalogのようなウェブサイトで人気の告白系や実体験もののサブジャンルの代名詞になり果てていた。

数々の論評や解説記事で、ワーツェルは主に女性主体の実体験エッセイブームの元祖として、しばしば中傷的に取り上げられた。多くの人々がこのジャンルを軽薄で中身がないと一蹴した。彼女もこの点に関して自分の立場をよく理解しており、よく冗談を言っていた。「朝食のときに他愛もなく、私が自伝小説というジャンルを発明したんだ、なんて言っていました」とフリード氏は笑いながら振り返る。だが同時に、文学界は彼女の才能を認めるどころか、真面目に取り合わなくなった。「彼女は羨望の的となり、女性やセックスやメンタルヘルスに関する人々の気持ちは全部彼女に向けらました。そのせいで彼女の書いたものはどれも素晴らしかったのに、相応しい評価をされることはありませんでした」とサミュエルズ氏も言う。

彼女の訃報を受け、大勢の作家がTwitterで彼女の作品について同様の意見を寄せた。「世間は何年もかけて、エリザベス・ワーツェルを残念な例――女性エッセイスト、自分らしさを売りにして有名になった、そして往々にして若い女性全般ーーとして扱ってきた。彼女が若くして逝ってしまった今、それがどんなにひどい仕打ちだったのか痛いほど思い知らされる」。 フェミニストの作家サディ・ドイルは、ワーツェル氏の訃報の後Twitterに投稿した。

最期の数年間、ワーツェル氏は心情を吐露し、世間を騒がせ続けた。2015年に乳がんと診断され、遺伝性乳がんを調べるBRCA検査で変異が見つかると、検査の熱心な支持者となった。晩年の作品のひとつに、ガーディアン紙に寄せた自虐的で辛辣なエッセイがある。この中で彼女は死と向き合いつつ、被害者としてレッテルを張られることに抵抗している(いかにも彼女らしく、記事にはペッサリーの中にコカインを詰めて北欧旅行した話も出てくる)。

「周りから、がんのことが気の毒だと言われるのがすごく嫌」と彼女は書いている。「本気? 私たち知り合いだったかしら? あなたに気の毒に思われる覚えはないんだけど」

Translated by Akiko Kato

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